藍坊主 | Column
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藍坊主

Column

キュウユウ。

10年ぶりぐらいに触ったマイギター、ギブソンエクスプローラー。

なんでこいつの存在を忘れてしまっていたのだろう。

謎。

年始に実家帰って思い出すように持って帰ってきた。

良いギターなのにな。宝の持ち腐れだ。

10FEETのTAKUMAさんやメタリカのジェームズヘッドフィールドが使ってる。 

フレットがガスガスに削れてて使いもんになるか不明だけど、ちゃんとアンプに繋いだら音が出るのかワクワクする。

ほんと10年ぶりぐらいに電気通るんじゃないかコレ。

なんでこんなにほっぽらかしにしてたんだ、、、。

おもちゃみたいなくそギターは未だに常用してるのに。

、、、、謎。

そしてギターの裏側に黒いマジックで

『才能はつみかさね』

って書いてあった。

、、、、、、、謎。

YES.explorer/hozzy

ブデズムン。

仏教とは、哲学的実践なのか。
いわゆる宗教、とくくるには狭すぎるように思うし、哲学というには感覚的すぎる。
哲学的な世界観を、日常における実践によって、哲学的思考を実感にもっていく行程が仏教なのだろうか。
学だけでも、行だけでも、成り立たないもの。また、言葉では追いつかない感覚的すぎるもの。
ゆえに、宗教としては非常に不安定なポジションに自らたっている。
時代ごとに様々に解釈が別れ、仏陀の教えなど現代ではほとんど理解などできないであろう。
あるがままをあるがままに至らせる方法など、言葉で伝えるのが一層無理ならば、どうしてその本質が伝わろう。
およそ蓋然的に、本質を得たと思えたものに、師は、法衣と思想を付属させたのだろうか。
経がやたらな数を成しているのも、その証拠のようにも思える。
本当にその本質中の本質が伝わっているのなら、経も一つで十分ではないか。様々な角度から世界の相を眺めたそれが人間たちの真理か。
しかし、仏教の凄いところは、まさにそこ。本質を一という概念にも押し込めない発想法につきる。
本質は如来ただここに帰結するが、現象、いわゆる色や、表現、経は、この世界の無限の相のたずさえに乗っ取り、経も無限に存在するのが当たり前、という思考方法に至ってくるところ。これはインドの土着的なメチャクチャな宗教観とはまた別である(ようするに決して適当なのではなく、仏教は実に感覚と論理の間で、非論理の正当性を説いているのだ)ここが俺のまた、好きなところである。人間という思考の枠をあっさり超えている。キリスト教ならば聖書、イスラムならコーラン、正当な経典は仏教に比したら至極少ない。まさにこれが通常、実に理にかなった人間的理論発想の集約である。『矛盾をだすなかれ』矛盾は神の嫌うところであり、神はいつでも正しく、答えを指し示すものである、とする西洋思想の根幹がここ宗教にこそ反映されている。強い排中律思想。1か0か。イエスかノーか。
しかし、この思考方法を仏教は完全に超えている。イエスかノーかは問題ではない。なぜなら、そもそも矛盾などはこの世界には無いのだ、という思想があるから。突き詰めれば、そもそも「矛盾」などという発想法自体が人間の作為に縛られているから起こる事とする。この世界に人がいなければ、「矛盾」なんて観念も存在しない。ただこのあるがままの世界が存在し、虫や草木が生命を燃やしているだけである。矛盾すること、それは矛盾などではなく。我々人間の思考に住み着いたただの機能的思考法のひとつに他ならない。それを世界のあり方に当てはめると、いわゆる「矛盾」がでるのは至極当然のことである。そもそもその「矛盾」自体がこの世界においては「矛盾的」なのだから。
あらゆる相をこの世界は成しているということ、多であり一であるということ。そこにたどり着くのは容易ではないし、自分のこの解釈もカスみたいなものだろう。しかしながら、これが俺の見る世界、すなわち、この世界に体する実相的感覚なのだ。仏教思想こそ、より人間や、世界の本質に寄り添える、いわゆる宗教的ではない、しかし実践的な救いになりうるんではないかって思ったりしている。

法華経の方便品よりとりあげ、「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相(ゆうぶつよぶつ、ないのうじんぐう、しょほうじっそう)」
諸法実相の項において。
この一偈に込められたもの。現時点で解釈するならば
「この世界(宇宙)は唯、仏(神やいわゆる“仏”という人格的、人間からして人間対象的なものではなく、宇宙存在に対する我々からしたら超越的な原理をさす)であり、仏が在らせているものであり、それ以上でもそれ以下でもなく、遍くその力、それは法則であり、神秘であり、『ただ、世界を「この状態」に存在させている原理』であり、あらゆる物事の法則性や、もののあり方は、様々な仕方をしながら、その原理をあるがままに示している。それは、ただ、それ、である」
多少、色つけるとこんな感じだろうか。
諸法実相は、ハイデガーやウィトゲンシュタインがこの世界がこう在る事に対する純粋な驚き、感動の体験を記した時のものにどこか通ずるものがあるような気がする。

如来=仏。

仏陀、世尊は、如来を識った人。

道元は宗派という概念を強く否定する。まさにその通りだと俺も思う。なぜに仏教に宗派が必要か。寺さえもいらんと思っていたけれど、経の項に触れたときになるほどと思った。が、
現代でまともな仏教者と言うのはどれほでいるのだろうか。宗派に依れば、仏教の本質からはどんどん離れていく気がする。


、、、、、、、と、2007年末に俺は書き留めていたらしいのだが全くもって覚えてねえ(ひさびさ古いノートPC開いたら書いてあった、コいてるな!!)

でもなんかいつか出家してみたい俺としては(藍坊主だけに)、今も変わらない部分があることを感じた。

神社だか寺だかよくわかんない場所で、年の始まりの願をかける。

賽銭投げて願いが叶うかいな!(おれ神社でバイトした事あるからその虚しさを知っている。ラッシュ明けに賽銭ずだぶくろにせっせとつめてたのよ)

それでも俺もおみくじをひき(大吉!!)、家族の健康を祈ったりするのだ。

不思議なり人間。

今年も宜しくです。
素晴らしい2012になりますように。

YES.2012/hozzy

ウルタシュタイン。

気がつけば、部屋が生物研究所のごとく生き物と機材で溢れている。
どうしてこんなことになったんだろう笑!
こんなに生き物が好きだったわけでもなかった気がするのだけど、、、、。

しかし色んな種類の生き物を飼ってみるとほんとに環境って大事なんだなって思ったり。
人間(俺)ってなんて傲慢なんだろうって、飼育者自体の自己矛盾に陥ってみたり、、、、(生き物好きなのに、彼らに与えてる環境は自然下に比べたら最低である)
ふと出る生命が醸し出す神秘的なオーラに数十分間金縛り状態になってしまったり。

すごいべんきょうになる!

生き物にとっちゃたまったもんじゃねーけどな。

「うわあ、かわいい」

って震えながら女子がよく言う感じ、昔は死ぬほど「意味わかんねー」って思ってたのが、なんかわかるようになっちゃったもんな、、。

「ときめく」ってこういうことか、、と。

気持ちわる。

けど本当にわかったよありがとう。

これは本読んだり、女性と話しているだけではわからなかったことだ。
人間性の向上であると笑、信じたい。

そしてリクガメを飼い始めた。

ほ乳類と全く違う生態をしている変温動物なので、色々初めてな事が多くてわくわくヒヤヒヤだ。

イエローサブマリンという名前をつけた。

黄色くて潜水艦みたいだからだ。

おれはムツゴロウさんにはなれないが、ムツゴロウさんもおれにはなれない。

俺が君になれないように、君もリクガメにはなれない。

リクガメが人ではないように、君はは虫類ではない。

は虫類がほ乳類ではないように、ギターはベースではない。

ギターとベースの違いがわかるまで中学生の頃結構時間がかかった。

意識するまでベースの存在にさえ気づけなかった。

なのに一度聴けると、もう次からベースが聴こえるようになってた。

これを探す旅だ。ベーーーーーーーイ!!

イエローサブマリンに乗ってゆくのだ。

イカはタコではないように、10本が8本ではないように、月食が日食ではないように、横顔はただ一面でしかないように、、、、。

今日も良い音楽をさがすぞ。

YES.yellow/hozzy

アルタゲーデル。

わしは漫画好きでまあまあ読む方だと思うんだが(本棚マンガと都市伝説と哲学ばっか)、やっぱり漫☆画太郎はすげえと思ったんだ今夜も。
先生のばばあへの愛情(狂愛か)に毎回殺意を覚えながら同時に心穏やかにさせられる不思議。
ばばあを煮詰めたようなあのシンプルなババア劇場には嫌悪を遠く超えた深い歓喜があるよ、、、。
「まんカス」読んで腹がネッジ切れるかと思ったぜ。
徹底してなさる漫先生の存在感。
当分読みたくねー、なんか。
くだらなさすぎる。
それなのになんだこの満ち足りた気分は!!!
これが人を喜ばすと言う技術の高さなんだろうか。
えらいまいった夜でした。
夢に見そうだ。
最高だ。

そして「生命のシンバル」発売だ。
今夜は俺はババアと共鳴させながら心で揺れていようと思う。
ジャケも今回も凄くいいし、コア石川さんありがとう。
そこも味わってもらえたら本望です。
楽しんでくれ!

YES.vavaah/hozzy

オルタノイマン。

くすぐったいってことを考えてみるってことをさっき思いついた。

ので考えてみよう。

くすぐったい。

なんで自分で首とか、脇の下とか触ったり、はたまた自分への褒め言葉を発してみたりとかしてみても、くすぐったくならんのだろうか。

子供の頃から私は相当のくすぐったがりやで、大人に高い高いとかしてもらえないほどだった。
脇の下を意識した瞬間、背筋から蒼い火花がほとばしるようでよく悶絶していた。

人をくすぐった時も、やはり不思議な反応を見る事に気づく。

例えば、まず相手に軽く触れ、くすぐるかくすぐらないかの微妙な振動を腰などに指先で与える。

この時点で相手にくすぐったさを感じさせてはならない、会話が余裕で出来る程度の振動である。

そしてあるタイミングで「くすぐったくないか?」というニュアンスのメッセージを相手に伝える。

すると相手は十中八九は身悶えする(中には動じない人もいるけど笑)

これは誰にでも思い当たる節があるんじゃないかと思うんだけどどうだろう。

不思議じゃね?

物理的にはずっと感覚神経が同じ刺激を受け続けているにすぎないのに、時と場合(条件)が揃うとなぜにこんな「くすぐったい」という状態があらわれるのか。

オシロスコープみたいので、腰への指による刺激の波形を記録してみても、そこには淡々とただ一定のリズムがあるだけで「くすぐったくなった一撃」と「まだくすぐったくない一撃」の違いはおそらく無い。

なのに押される側が「くすぐったいということ」を意識したとたん、その刺激がくすぐったくなるのだ!

波形はただただ一定を記すのみなのに。

ためしにその瞬間の脳波を計ってみたらどうなるか。

きっと、くすぐったくなった瞬間に大きくその波形は乱れ、大きな「ビンッ!」ってやつを描くだろう。

けれども、頭を思いっきり引っぱたいたときにもその波形は大きな「ビンッ!」を描くだろう。

波形計測の問題点は、何の刺激に対しても前の状態に対して過剰になれば(いきなりくすぐられようが、いきなり殴られようが)波形は大きく「ビン!」って反応してしまうところだ。

もし記録だけをみたら、極論、その波形が、くすぐられたものなのか殴られたものなのかが、結果、スコープ上ではわからなくなる可能性がある。

そんなバカなって話だけど、数値状の記録を解析してそれに解釈を与える事が厳密な科学なのだとしたら、これは本質的な問題だ。

その記録された数値から、起きた現象(くすぐったいか、痛いか)を再構築できなければ科学の“科学的”たる意味がないからだ。

さらに面倒な事に人によっては、「くすぐったい」と「いたい」が即、性的快感に変わってしまう場合もあるかもしれない。

その時は波形による「くすぐったい」と「いたい」の選別さえ絶望的に困難になるだろう。



つまり完璧なる「くすぐったい一撃」なるものは物理的には(波形的にも)存在しない。

なのに俺たちは「くすぐったい一撃」があることを現実として知っている。

つまりこれこそが心があるということだ。

この科学に対する矛盾こそが「心」の存在の証明でもあると言いたい(かたくるしいな)。

科学的観点からは解決できない現象だ。

くすぐったさはよくよく心と直結した現象だって。こう言えるのではないかな。

と本日結論づけて眠ろう。

そもそもくすぐったいって、なんなんだろう。

痛いとか面白いとか悲しいとか嬉しいとかよりもずっと出会う機会が少ない状態なもので、よりふわっとしている。

そんななか12/7にニューシングル「生命のシンバル」がでます。

今も曲作りに沈没している。

今年も残りわずかなり。

がんばろう。

YES.oscilloscopes/hozzy

ペルヌーメ。

俺はどこへ行く。
お前はどこへ行く。
俺はもうおれではない。
おまえはいつまでもおまえのままでいてくれ。
壁が今もの凄い音で弾けた。
俗にゆうラップ音だ。
左側の壁がこのごろうるさい。
苦情なら直接言ってこい。
めんどくせえ。
そうだ、めんどくせえんだ。
クソめんどくせえ。
俺はめんどくせえ。
なんでこんなメンドクサクなった。
大嫌いなのに。
嫌いなのに。
俺は生きていたいのに。
壁が面倒くせえ。
音をならすとめんどくせえ。
鳴らしてなくてもめんどくせえ。
ああああああああああああ、なんてこった。
地獄の入り口だ。
俺は知っていたんだ。
だから見つけたんだ。
指なんて合計六本で良いんだ。
なんてこった。
なんでこんなことになった。
俺の中の岩盤浴がただのレジャーになっていくかのごとくおねんねしてる。
畜生。
くそ。
くそったれ。
ガスっかれ。
俺はタコだ。
凧だ。
ひもの切れたタコだ。
すぐにひっかかる凧だ。
つまんねんだ。
レンジでチンだ。
ピックが見つからない。
俺は行くのだ。
また壁がなった。
今度は薄い右側の壁だ。
囲まれてる。
狭い。
うるさい。
電子レンジでチンだ。
いえない。
もうなんかこうなったらしょうがないんだ。
書かねばならぬことなどないのだけれど、そうでもしないと今日を忘れてしまいそうだ。
のんだんだ。
のみこめないのにのんだんだ。
こんな文字かかせてくれよ。
どうでもいいことでもいいじゃねえか。
生きてる事。
どうでもよくないことなんて数えるほどでしかないじゃねえか。
数えない。
数えらんねえからいいんだろうが。
数えたら所詮数えられる事でしかねえんだ。
詰まってる。
内側のめくり還ってる。
背中が痛い。
こういうことって石英石だ。
抜けたい。
俺は黒い木の枝だ。
がめんがあかるすぎるん;だ/
ぶーぶーキーボードがこいてるんじゃねえ!
俺にもつまみが欲しい。
回せる所が欲しい。
モヒートがうまかった。
目が咲けばいいのに。
偽物が枯れれば良いのに。
マクはってなければ良いのに。
すごいライブを見て、振動する心。
あたしはここにいればそれでいいのに。
なんだか本来的存在をここのここにおかなければならない。
俺はまだここにこなければならない。
ぺシカンジョルヌアーマジ。

硬くあってはならない。

横である、

YES.sodom/hozzy

バロニア。

昨日のニュース。
見た人も多いだろうけど、
東京の世田谷区で異常に高い放射線量を発してる区域が発見されたらしい。
毎時2.7マイクロシーベルト。

ほんとにある一角だけがこのような数値になっているようなんだが、原因はまだよくわかっていないらしく、年間被爆線量に換算すると14.7ミリシーベルトで、はっきり言って子供なんかには非常によろしくない数値(諸説あるだろうが俺はそう思う)。

この一角に1年間ずっといるってことはないにしても、ここの道は通学路にもなっているらしく、いつからこの場所がそれだけ高い数値を出していたのかも問題になるところじゃないか。

横浜の港北区でもマンションの屋上から高濃度の放射性ストロンチウムが発見されたってニュースも見た。

ストロンチウムってセシウムとかヨウ素に比べてあんまでてこない名前だけど、危険度で言うと内部被爆した場合セシウムよりもたちが悪いらしい。

セシウムも6万ベクレルでたって(ベクレルとかシーベルトとか色んな単位があってほんとわかりづれえな)とりあえず6万って凄まじい値なんじゃないのか。

ストロンチウムは性質がカルシウムと似ているので骨に蓄積されやすく、骨髄なんかをずっと被ばくさせ続けるから白血病のリスクが高まるみたい。

骨に溜まるからセシウム(主に筋肉に溜まる)と違って体外にも排出されにくい。

学者がいうには、放射性ストロンチウムは比較的重い元素なのでプルトニウムと同じく(プルトニウムもとても重い)原発からあまり遠くには飛ばないって話を俺もよく聞いていたので、今回の件が本当なら(市の追調査の結果が今週末にでる)驚愕もんだ。
原発から横浜まで250キロ。
原発中心に250キロ圏の円内でストロンチウムがある可能性があるってことになった。

学者ども、どうなってんだよ。
メルトダウンの次はストロンチウムか。

今住んでる所と発見現場が目と鼻の先の場所なので、ここらもそういう場所がある可能性は高いなぁ。

冒頭の世田谷のニュースに関してなんだけど、年間14.7ミリシーベルトって今国が定めてる暫定基準値20ミリシーベルトを確かに下回っている数値なんだけれども。

この暫定基準値って事故前の通常基準値は1ミリシーベルトだったのよ。

事故後に20倍にした根拠はよくわからん。

一応省庁なんかにはその数値の理由が公表されているらしいのだけれど(見る気もしねえ)
どうせ政治的な理由でしょ。

基準値超えた場合の避難場所やら損害賠償やら国や電力会社にとっちゃ面倒な事がいっぱいだもんな。

健康の面だけで考えたら(これが本当に大事なんだけどな)、20ミリって相当高いらしいよ。
「ただちに健康に影響が出るレベルではありません」
これもほんとすんげー恐い言葉だな。
事故後数日間この言葉を聞くならば少しは安心できるかもしれんが、、、。
我々はこのあと何十年か生きる予定があるんだけどな。
ただちにって時間を生きていく訳じゃないんだけどな。
子供には年間10ミリシーベルト以下の基準値をって運動をしていた山本太郎は何が悪かったんだろう。

福島の子供の甲状腺に数人変化が表れているってニュースも見た。

海にも大量に流れ出たんだストロンチウム。
でも学者、機関は測定が面倒だから(検査するのに時間手間がセシウムよりもかかる)シカトしていいとした。
ていうか、ストロンチウム測定の専門の人が日本にいないだかごく少数だかなんだって。
だからなんなんだ。

何も起こらない訳がないんだよ。
もっと俺ら感覚を尖らせないといけないよな。
未来を変えたいのならばな。

YES.gakusha/hozzy

テロメア。

2週間以上経っちゃったけど、東北ツアー&熊谷&滋賀、ほんとにありがとうございました。
細かくひとつずつ書きたかったんだけど、もうレコーディングでいっぱいいっぱいになっちゃってできませんでした。
すみません、、、。
ぼくちんなんてね、
キャパがね、おちょこの裏なのよ(by僕といっしょ)
狭くってしょうがない。
3°くらいよ。
360あるうちの3。
365日に換算すると3.0416666日。
1年のうち361.9583334日を無駄にする角度。
この数字を電卓で打ってる時点で終わってる時間が終わってる。
そういう過ごし方をしなければならないキャパシティしかないのだから許して欲しい。
フォーギブミー。
ブリヂストン。
ブリザード。
ブリトニー。
ブルドーザー。
ブルドッグ。
ブリリアント。
ブラックアウト。
ブレーカー。
ブレーメン。
音楽隊。
夜の光り、、、、、。

ありがとうございました!

今日やっと歌録り終わっていっぱい眠れると思うと、なんだか寝たくなくなってしまうのが「うかれる」ってことなんだろうな。

もういいんだ。

なんかすごくいい曲になりそうだ。

すごい実験がしたい。
音楽的にとかじゃなくて。
理科の実験を。
ピンセットでマグネシウムつまんだりしたい。
燃やしたい。

最近骨格の模型とかにやたらと惹き付けられるんだけど、なんでなんだろう。

俺は科学ってすごい嫌いなんだけど、「科学的」ってやつが特に。

なんだかなんでも知ってる風な感じをだしまくるじゃない「科学的」ってさ。

説得力も無駄にありそうだしさ。

ほんとにわかるんだったらいいんだけど、実際うさん臭い「科学的」がはびこってる感があるのが俺はほんとに嫌なんだ。

グルコサミンってほんとに効くのかな。

ヒアルロン酸の次はそれ??って感じがしないでもなくないかい。

葉酸が一時期妊婦に良いって流行ってたけど、今じゃあ、とり過ぎは良くないってまた変な警告出したりさ。

カテキンカテキン言ってたのに今あんま聞かないし。

アミノサプリは何処へイッタ!!

アミノ酸ってあの時期盛んにアピールしていたが、そもそも俺たちの体を動かす事においてすごい重要なもんらしい。

ってゆうかなきゃ死ぬ。

つうことは普通に飯食ってりゃたっぷりと補給されていなきゃおかしいはずなのに、やたらアミノアミノいってやがったなああの時期、って今思うんだ。

多分あの飲み物が本当に押したかったのは俺が思っているようなアミノ酸(なんかアミノ酸っていっぱい種類があるみたい)じゃあなかったんだろうけど(あの飲みもんはなんか痩せるっぽい感じのイメージがあった)なんかアミノごり押しってのが結局今なんなのかよくわからん。

味の素の主成分もアミノ酸の一種のグルタミン酸。

うまみって感じるやつらしいのだが、それじゃあいけないのか。

いけなかったのか。

アミノサプリと何がちがかったのか(多分おおいに違っていたのだろうけど)

そこらへんが、科学を良く知らないと判別不能になって「くっそうさんくせえな」って気になってきてしまう。

科学を利用して(データ改ざんしたり、それらしいことを言ったりして)人とか社会を騙すとかそういうのは、そもそも論外だと思うけど(ecoビジネスって)

そうじゃなくて、そもそも「科学」ってどんなもんか、なかなか解りづらいところがあるじゃないですか。

俺は、どこまで「科学」が世界を理解しているのかわからないから、それを解りたい。

どんだけ「完成」されているのか。

どんだけ曖昧な部分が残っているのか。

たぶんわかっちゃあいねえ部分ばっかりなんじゃねえかと思っているんだが、これは俺がしっかり理解を深めていけば後々しっかり解る事だと思っている。

そういう意味で、今なんか「科学」が熱い。

知れば知るほどパブリックイメージの化けの皮がブリブリ剥がれそうでわくわくする笑。

「確かな事など何ひとつない」世界が俺は好きだ。

じゃなきゃ、全部解っているならもう生きてなくていいじゃんって思っちゃう。

ほとんど解っている風味な雰囲気作りがうまい科学さんがなんか嫌いなのもここから来ているといっていい。

けど問題なのは、今パソコンでこの文字を打っていることも、ネットですぐさまこの文章をアップできる事も、科学のパワーに他ならないということだ。

だからその素晴らしき技術のもとの部分と、背伸びしまくってその能力を拡張しすぎているんじゃないかっていうグレーゾーンな部分を、私は知りたい。

線がどこらへんにあるのか、自分でちゃんと引きたい。

科学の結晶、味の素がないラーメンなんて、もうありえないのも現実だろう。

それがまたなんか認めたくないけど、すげえよな。

僕は家畜なのか。

YES.ukareru/hozzy

ロシアンマフ。

結構前にブログでアップされたけど、あえてまたこいつを紹介したい。

ロシアン製、ビッグマフ!!
電池じゃなきゃ動きやしねえクソアンチecoブースター。
つまみ最高値にあげてんのに規定の場所に揃わない適当さ!!
ロハスキラー!!!

このコラムを読んでくれているマニアな人ならお分かりだろうが、俺って滅多に、つーか、過去に一度も自分の機材とか紹介したりしたことがない。
ギターが何とか、アンプが何とか、エフェクターが何とか、スコアブックにうっすらと載ってるくらいの露出具合である。
タクロウさんとはえらいスタンスの違いである。

いいんだそんくらいが。
わしにはぴったりなのだ。

だってめんどくせえんだよそういうの。
よくわかんねえし。

けどこれが藍坊主においての黄金律でしょう。
俺がならす音も、それにそっていると思う。

voxとテレキャスのコンビが俺の一番欲しい音である。
ギターボーカルで、コード主体のプレイにはぴったりの組み合わせである。
このコンビならユウイチの音とは間違ってもかぶらないので(マッチレス系のパンチ音)俺にはぴったり。

ただ無難っちゃ無難。っつーか、セオリー過ぎるほどセオリー。

「なんか普通じゃねえ??」

って、やっぱロックやってたり、パンク魂持ってたりすると思ってしまうじゃない?!

そこでの、「ロシアン製ビッグマフ」!!

音なんかどうだっていいんだよ。
見た目が、地雷みたいでかっこいいから合格!!
まずそっからだよ機材クンは。

踏んだら、ほんとに音が潰れてビーーーーーーーーーーーってなる。

しかしね、そこらへんのクソブースターと一緒にする勿れ。

低音がちゃんとついてくるんだよ。

クソ歪み系エフェクターって音がシャーシャーになったりしてしまうじゃない。

ロシアンも、結局は俺のプレイのおかげでシャーシャーだけど笑、ウンコどもよりも低温がモリッとくるからさすが元共産党国産である。

ソ連時代に軍需工場で暇だから作られたって逸話も在るくらいだからね。

うそくせえ。

まあ、どうでもい。

けどね、ほんとライブ中もこのエフェクターがあるとないとじゃテンションが変わってくるんだよ。

オラーーーーって、いくときに、音がどうなろうが、「信頼できる乳首」があるかどうかで向かうべき道が変わってくる。

ロシアビッグマフは、「虐げなさい、私の突起を」と、顔を背けながら私に常にアピールしてくる不満げな淑女なのだ。

だからなかなか踏みたくないのだ。

踏んだら奴の思うつぼだから、俺は我慢するのだ。

しかし、どうしてもここだよーーーーーーーー、って時には踏むしかあるまい。

だから、それこそが「ブースター」の存在意義であろう。

単なる調整的ニートひずみエフェクターとは一線を画すものである。

ようはよ、面倒くさくなったら、踏むんだよ。
じゃじゃじゃじゃーーーーーーんッつピーーーーーーーーーーって。

テレキャスいいね。

バッカスも忘れ難いが。

ジャガーはペイントされ、倉庫で眠っている。

トムホームズの335は、これから当分研究しなけりゃならんな。
優しさに包まれたい時にはぴったりなんだけど。

俺結構、ギター持ってるんだぜ。

腕はたいしたことないくせに笑。

けど誰にも負けない自信はある。

それがギタープレイだろう。

おらーー。

YES.muff/hozzy

起きている人の寝言を聴いた。

今、歌詞書いてんだけど、めちゃめちゃ濁りまくってしまって、今日をあきらめた。
コラム書く事にした。
被災地の写真を何枚かアップした。
この流れで書くのもどうかと思うのだが、早めに感謝を述べたいので書かせていただきたい。

9/1、ねごとのツアー初日に参加させてもらいました。
俺たちを出発の日の相手に選んでくれてありがとうございました。
なんだか年も随分離れているんだけど、その年齢であの雰囲気をつくりあげてしまう彼女たちに、

「俺21歳の時になにをしてたのだ」

と、悔しさとか通り越してなんか笑ってしまうのであった。

21歳の時、私は、ドラム突っ込み禁止令がバンド内に発令されたため、もうどうしたらいいかわからなくなって、ふさぎ込んでいた時期だったように思う。

俺はただ突っ込みたかったのだ。ドラムに笑。
壊したかったのだ。マイクとか、よくわからん空気とか。
歌なんかどうだっていいし、歌いたくなかった。
けどライブがしたかった。

そんなガキ過ぎる時代に比べての、ねごとの表現力のクオリティーの高さに、どんだけ俺は未熟やねん!!

って、突っ込み入れたくなった夜でした。

不思議な曲がたくさんあって(もちろん良い意味で)、これからどんどん「ねごと」化していくであろう彼女たちに、私も遅れを取らぬよう、曲作るぞこのやろう。

で、わしは歌詞書いてるんだが、良いのかワリイのかよく解んなくなってきやがった。
歌詞と言葉の距離感ってほんとムズイな。

もう寝るっぺ。

YES.chibalook!!/hozzy