藍坊主 | Column
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藍坊主

Column

ああ、時の流れのように。

いつの間にか当然のようにPVが「MV」という言い方に移行している。
小さなことだけど、こんな変化の集積が、俺を更に「大人」へと押しやってゆくんだろ。
知らないうちに、知らない世界、言葉がまた増殖していく。
そしてそれに気づいた時には、理解から一歩遅れていく。
小さな、小さな、変化の連続。
わからなかったことがわかるようになり、わかってたことがわからなくなっていく。
人間のもつ「幅」について、近頃よく感じる。
「幅」は俺の思想をカバーできる範囲、感情を制御できる範囲、「記憶」とは違う、今この瞬間から今の自分の感触をさかのぼれる過去までの地点。
どこで変化は訪れている?
それは変化して数日数ヶ月数年経たなければ解らない。
その幅の連続。
ちがう。
現状態の把握から、一本に区切りを入れる事が出来る分化点の発露。
俺は塊として移行している。
この世界と関わりながらか関わり無く。
この体が私ではない。
体を超えた幅が、否応無く自分の存在を有り様を決定づけている。
それは今この瞬間を円のように取り囲んでいるとは限らない。
幅は2年4ヶ月16日前とリンクしているかも知れない。
幅は7年10ヶ月3日前とより強くリンクしているかも知れない。
時間は、正しく順序通りに俺の「幅」に刻まれてはいない。
この「幅」にいわゆる直線的な時間は関与しない。
帯状に、記憶に関与する。
「幅」は時間の束縛を超越している。
超越しなければ「幅」を持つ事などできないと俺は考える。
自分のこの「自分」は直線の時間の奴隷のままになっているのだとしたら、このような厚みは持てないだろう。
楽しかった事、苦しかった事、それは過去のバラバラの地点に散在している。
その日その日によって、そのバラバラの地点に俺の「幅」は繋がって厚みを持たせている。
時間をカウントする能力がなれば、こんな話もできないが。
過去さえも語れないが。
確かに俺には時間は直線的に流れているように感じられるが。
というよりそう考えなければ、何も語れないが。
時間はただ横に流れるってだけの代物ではないと感じるんだやっぱ。
時間のカウント能力が崩壊した瞬間、人は狂う。
その瞬間をちょっと知っている。
だから余計に。

確固とした「自分」の硬くない具合に、恐怖を覚える。

たまたま時間をカウントできているだけだったらどうしようって。
卵をかき混ぜた後みたいに、すべてが同じ色に染まったら、きっと自分は消える。
俺たちの精神はそれほど、危ういものだ。
最近話題だったマインドコントロールが可能なのも、思っている以上に俺たちの精神は柔いからだ。
いったん崩れるとそっからが早い。

時間の本質を言葉で語った人間はまだいない。
悟ったとされる人間は何人もおられるようだけど。
それは言葉では語れないものらしい。

時間って、考えだすと、神経が縮こまる感触がすごい。
遠くなる。
そして「幅」を感じるんだ。

はば、はば、はば、ばばあ。
幅の基軸がだんだんと世界から離れていったとき、俺は時代遅れとなり、「最近の若者がわからない」とじじいの言葉を胸の内に溶かすようになるのだろう。
こわい。
「最近の若者、、、、、」という文句が浮かんだとき、俺はその言葉にどれだけ嫌悪を感じたのかを思い出さなければならない。

まだだいじょうぶ笑。

音楽やってたら当然だけど、なるべく感度高くいようと思ったら避けては通れない道である事は確か。
ごまかせないったらありゃしない。
自分だけ客観的になるなんて、そんな神のごとく姿勢はできない。
時代を超越したものを目指すっつっても。
それがわかるのも最低50年くらい経ってからだろうか笑。
そんときゃそれこそもうじじいになってる。ファック。

別に「ノクティルカ」に関連づけてこの話をしているわけではない。
なんか「ホタル」が青春の歌だから、その距離感に思いを巡らせた結果こうなったのだ。
PVもといMVはとてもきゅんとくる仕上がりになったです。
協力してくれた彼ら&彼女に感謝!!

YES.haba/hozzy

螢的安息、夜光虫的光明。

日付はもう変わってしまったけど、震災からちょうど一年経った昨日、新しいアルバムのマスタリングが終わりました。
複雑な気分。
とても辛い一年だったけどなんかアルバムの完成は過去最高の出来になったと思う。
毎回言うけど、過去最高って。
ほんとに大変な一年だったなみんな。
まだこれで終われるほど甘くないけど、また次を乗り超えるための一年って区切りはやっぱ特別だ。
昨日一日何も起こらないようにってやっぱちょっと怖かったもんな。
一生忘れられない一年。
消しちゃいけない一年だ。
そして終わらせられない一年。
変えていく一年。

アルバムができた。
今回はやっぱ一味二味違うぜ。
なんて言ったら良いのかわかんねんだけど。
高密度で詰まってる、自画自賛しちゃうけど、また俺ら成長できた気がしてしょうがない。
そんな感触しかしねえ。

自信を持つって大事ですから。

けどね、ほんとにすごくいいよ。
聴いたらビビるよ。
売れるかどうかはまたよくわかんねえけどさ笑。
俺は最高だっていつも信じてる。

生命のシンバル作った辺りから、このアルバムの制作にだんだんと着手し始めて、だいたい半年弱かな。
曲数は前回に比べて3曲少ない10曲だけど、シングル除いた8曲は全部新曲です(涙が滲む理由は武道館のDVDに入ってるけど)
カップリングも参入なし。
気合いの10曲!!
ノクティルカ。

ノクティルカって造語っぽくない?

藍坊主を長年知っていてくれている人はご存知だと思うけど、よく造語とか勝手に作って楽しんでるんだわたくし。
シータムンとか、フィーウェルヲンヲンとか、ローウィンとか。

ノクティルカって、始め見たとき「来たコレ!!」って思った訳さやっぱ。

しかも夜光虫って(ノクティルカは英語で夜光虫の意味です)

もし時間あったら、
夜光虫ってインターネットで打って画像検索してみて欲しい。
凄まじく綺麗な画がたくさんある。
まるで魂が発色してるみたいな幻想。

これを地元小田原の海で19の時に見たんだ(ちょうど10年前の夏)
たまたま友達連中と浜辺で夜更かししてて見てしまった。
そんでテンション上がって服着たまま海に飛び込んでその蒼い光りの中を泳いだ。
手を漕ぐたびにその軌道が蒼くざわめいて俺死んでんのかと思うくらい非現実的な海にいた。
掬ってちょっとすると消えちゃうんだよ光りが。
けどまた掬うたびに光りだす神秘!
ありえない光景だった夢のような。

なんか今回のアルバムのタイトル考えてる時にそれを思い出したのよなんか。
「夜光虫」って歌詞に出てくる曲もアルバムの中に入ってるから余計にそう思ったのかも知れない。

まあ聴いてもらえればこのタイトルのぴったり具合が理解してもらえると思います!

そしてその前にシングル「ホタル」がでます。
アルバムともの凄く発売日が近接してるから特別感はあるのかどうかぶっちゃけわかんねえけど(そういうこといったらほんとはいけないんだろうけどしょうがねえじゃんほんとなんだから)
いち早くアルバムの予感が知りたい方。
特典のライブ映像が見たい方(これとてもカッコ良く仕上がってておすすめ度高し)
とにかく新曲聴きたい方(カップリング2曲も完成度高く仕上がってるのでこれもおすすめ度非常に高し)
そしてジャケが半端なくいい!!
デザイナー石川さんの腕は更に磨きがかかってます。さいこう。
「ホタル」も素晴らしい出来になってるので楽しみにしていて下さい!
先日録ったPVも日付変わって今日確認します。
どんな風になってるのか、事情があり撮影に立ち会えなかった場面もあるので、全体像が非常に気になります、、、。

と、とにかく今日はアルバム完成と、震災からの1年を噛み締めてちょっと夜深くまで色んな想いに耽っていようと思います。

みんなまたこっから頑張っていこう。
俺はポジティブ。
ネガティブなのにポジティブ。

なぜならビールがうまいから。

頑張る。

YES.kansei/hozzy

うねるばばあ。

よし。

とりあえず全部歌録ったぞぉーーーーー!!!

こからまた変更点もあるかも知れないけど、、、とりあえず第一回目のアルバム製作用の歌録りが終わった、、、、、。

いやーー。

今回はシングル曲(生命のシンバルとホタル)以外は、完璧全部自分たちででやってるぴょん。
楽器も歌も、全部藍坊主君たちのさじ加減!!
いい感じよ!
今までもアルバムとか、プロデューサー的な人はいなかったけど音作りとか歌のチョイスとかプレイの判断とかコーラスラインを一緒に考えてくれるとか、そういうのはやってくれる人がいたんだ。時乗さんという師匠が。
けど、今回は俺たちだけで音楽的な事に関しては全部作っとるんだ。うむ。
シングル曲に関してはご存知野間さんという強力なプロデューサーにアイディア色々もらって一緒に作ってみたりとかして、前回のミズカネ、ベストだした辺りまでとはちょっと違う環境に。
なんか極端だな笑。改めて思うとなんかいつもそうだ。

そんなわけで、せっかく俺らで完結できるような状態になってきているならとアルバム曲とかカップリング曲とかは、今回全部自宅で歌をとってみたりとかしたのだ!
自宅だからって関係なく、本気で歌ってます、、、、。
たまに「ドン」ってどっかから壁を叩く音がします!!
小学生が外でかくれんぼやってる声とか聴こえるとちょっとひやひやします。
飛行機が上空を飛ぶとREC中断です!
けどある意味楽なんだこっちのほうが。
自分のペースでできるからね。

しかしよ、とてもいいのができちゃうんじゃないかと、恐いのさ。
ぶるるるるるばばばあああ。

今度のシングルもすげえいいんだけど。
アルバムもすっかりやべえよ。

いつもやべえっていってるけど、おれの「ヤベエ」を疑う奴にこそ聴いて欲しいね。
俺のヤベエは実験的な方向に思われがちになってるんじゃないかとおもうが、この矢部は、聴けば解るさ。
実直に良いのさ。

ミズカネの時とは違う俺らを見せられるんじゃねえかと思うのぜー。

ベスト後の、藍坊主のベストアルバム。
そんな感じのノクティルカ。

期待して、いいと思います!!

ファッキ!!

YES.myroom/hozzy

愛しきbabaa。

やべえ。
昨日の続きだけどなんかすげえテンション上がって歌とれた日付変わって昨日!
いいのとれた。
メインよりももしかして良かったかも!なんて言えるぐらいよかったなあ日付変わって昨日。
今は酒呑んでるコレ。あああああああああばばばあああああああ。
辺りを見回して手頃な酒がなかったからラム酒をストレートでやってます。
ラム酒ってなんだコレ!
なんでうちにこんなのがあるのかはよくわかんねえが酔うには丁度いい強さだ。
たまに行くバ○ルってクソファック肥溜めBAR(我らくそボーズの便所であり聖地)の匂いが鼻の奥でしてきてる。
やべえな
これは酔ってるサインだ。ひどい。

すばらしいmixを聴いて、さらに新曲の出来上がりに震えた。
いいのを皆に聴かせられると自信が持てた。

色々とブリブリし始めてるから、まあまた驚いてくれメーン。
鼻の奥が独特の匂いがする酔い方これなにこの匂い。

YES.nomasann/hozzy

馬の耳にタオル。

曲作り。
そして曲作り。
というかレコーデング。
ああ、もう完成図はだいたい見えているのに。
こだわると、こだわりが卵スープのように私らを包み込んで底につれてゆくのだ。
納得いくまでやりましょう。
俺は料理は作れんが(ヘタクソ過ぎて自分で引くほどセンス0)頑固そうなラーメン屋の親父がスープの出来が悪いと看板しまう的な感じよ。
時間とかはさやっぱ大事だけど、大人になるとさ、きっちりやらないと税金ちゃんと払ってても怒られんだよなんか色々やっぱめんどうくせえことにファック、もっと自由になって皆がハッピーになるだけの世界ならばいいのにネ、っておもうんだけどやっぱスープ屋の親父がさ、ラーメンできねえよこれじゃってなっちまうからさ、しょうがねえべ。もうさ、俺も食いたくねえしさまずいのなんかさ。
こういう事態なわけさ、俺たち真面目だからさって。
曲を作るってのはやっぱ、しんどーーーーーい。
他の人たちはよう知らんが、俺は年々正直ダメージがでかくなってる。
神経がいかれてる。
っつーか心がおかしくならないと曲なんてできないんだとばっちり知った。
できてもつまんねんだやっぱ。
つきつめればそれだ代償が大きくなるんだ。
その分おおきな満足が得られるのかもわかんねえ。
多分マイナスになる。
だからプラスにするために色んなことをしないといけない。
大人は酒を飲むのだ。
けど、救われるのはちゃんと作ったモノを聴いてくれる人たちがいる環境にいるってことだ。
この文章書いてる意味もそこにしかないんじゃないかって今思う。
俺の独り言なら毎日夜になれば俺の中で洪水になってる。
わざわざ書く必要ももはや今はない(昔は自己確認のためにおおいにあったけれども)
だから感謝してるんですありがとう。
なんか今特に凄い思った素直に。いつもありがとう。
そうじゃなきゃとっくにやめてるこんなこと。
おれは宣言しよう。
やめてるぜえええ!!!!
やってられるかばかやろう。めんどくせえ。
ちぎれそうだ。
だからありがとうって思うのだ。
だからちゃんと眠れるように良いものをつくんないと寝たくないんだよ。
時間を守るために作ってるわけじゃないしよ。
守ってたから良いってなってたらそりゃラクチンだしよ。
転がってもいねえし、誰かのもの真似したってつまらない。
けど本当のオリジナルなんてどこにある?
もうたくさん音楽聴いて生きてきてしまった。
要はラーメン屋の親父の気持ちがだんだんとわかるってことさ。
ひんしゅく買おうがスープがまずけりゃ店あけねえ、その姿勢にむしろ憧れさえあるけど、俺そんなえらくねえし、親父だけど親父って程の年でもないから貫禄ないし、まだまだペーペーなわけだから頑張ってやんないとラーメン屋なんかやってけねんだよな。
ラーメン屋ってなんで男の魂的なニュアンスなんだろうね。はちまき。
しゃれおつランチ的な扱いになってしもたら死んでもいきたくねえけどさ。
オーケーオーケー!ちゃんとそっちいくわい漢祭りがああああああああああ。
俺今酔ってねえんだよ。
しらふなんだけれどもこういう感じでこのごろ過ごしてきてるからさ。
戻り方も忘れてしまったのさ。
マジで2年前の自分がどんなだったか覚えてない。
雰囲気ね、なんか毎日過ごしてた時のさ。
なんか違う気がする。
なんで2年前かって?
1年前は覚えているからだよ。
そんなやわじゃないだ。
ただ2年まえ、むしろ1年半前はもはや雰囲気が霧散したただの記憶、想いでにまではまだなれない距離感なんだ。
そういうもんなのかな、青春時代が最近ようやく形になって見えてきたように、時間が経たないと2年前のことなんて、雰囲気、わかんなくなっちゃうものなのかな。

明日も歌とりだからまた。
さよならイエスタデー。

YES.raumen/hozzy

キュウユウ。

10年ぶりぐらいに触ったマイギター、ギブソンエクスプローラー。

なんでこいつの存在を忘れてしまっていたのだろう。

謎。

年始に実家帰って思い出すように持って帰ってきた。

良いギターなのにな。宝の持ち腐れだ。

10FEETのTAKUMAさんやメタリカのジェームズヘッドフィールドが使ってる。 

フレットがガスガスに削れてて使いもんになるか不明だけど、ちゃんとアンプに繋いだら音が出るのかワクワクする。

ほんと10年ぶりぐらいに電気通るんじゃないかコレ。

なんでこんなにほっぽらかしにしてたんだ、、、。

おもちゃみたいなくそギターは未だに常用してるのに。

、、、、謎。

そしてギターの裏側に黒いマジックで

『才能はつみかさね』

って書いてあった。

、、、、、、、謎。

YES.explorer/hozzy

ブデズムン。

仏教とは、哲学的実践なのか。
いわゆる宗教、とくくるには狭すぎるように思うし、哲学というには感覚的すぎる。
哲学的な世界観を、日常における実践によって、哲学的思考を実感にもっていく行程が仏教なのだろうか。
学だけでも、行だけでも、成り立たないもの。また、言葉では追いつかない感覚的すぎるもの。
ゆえに、宗教としては非常に不安定なポジションに自らたっている。
時代ごとに様々に解釈が別れ、仏陀の教えなど現代ではほとんど理解などできないであろう。
あるがままをあるがままに至らせる方法など、言葉で伝えるのが一層無理ならば、どうしてその本質が伝わろう。
およそ蓋然的に、本質を得たと思えたものに、師は、法衣と思想を付属させたのだろうか。
経がやたらな数を成しているのも、その証拠のようにも思える。
本当にその本質中の本質が伝わっているのなら、経も一つで十分ではないか。様々な角度から世界の相を眺めたそれが人間たちの真理か。
しかし、仏教の凄いところは、まさにそこ。本質を一という概念にも押し込めない発想法につきる。
本質は如来ただここに帰結するが、現象、いわゆる色や、表現、経は、この世界の無限の相のたずさえに乗っ取り、経も無限に存在するのが当たり前、という思考方法に至ってくるところ。これはインドの土着的なメチャクチャな宗教観とはまた別である(ようするに決して適当なのではなく、仏教は実に感覚と論理の間で、非論理の正当性を説いているのだ)ここが俺のまた、好きなところである。人間という思考の枠をあっさり超えている。キリスト教ならば聖書、イスラムならコーラン、正当な経典は仏教に比したら至極少ない。まさにこれが通常、実に理にかなった人間的理論発想の集約である。『矛盾をだすなかれ』矛盾は神の嫌うところであり、神はいつでも正しく、答えを指し示すものである、とする西洋思想の根幹がここ宗教にこそ反映されている。強い排中律思想。1か0か。イエスかノーか。
しかし、この思考方法を仏教は完全に超えている。イエスかノーかは問題ではない。なぜなら、そもそも矛盾などはこの世界には無いのだ、という思想があるから。突き詰めれば、そもそも「矛盾」などという発想法自体が人間の作為に縛られているから起こる事とする。この世界に人がいなければ、「矛盾」なんて観念も存在しない。ただこのあるがままの世界が存在し、虫や草木が生命を燃やしているだけである。矛盾すること、それは矛盾などではなく。我々人間の思考に住み着いたただの機能的思考法のひとつに他ならない。それを世界のあり方に当てはめると、いわゆる「矛盾」がでるのは至極当然のことである。そもそもその「矛盾」自体がこの世界においては「矛盾的」なのだから。
あらゆる相をこの世界は成しているということ、多であり一であるということ。そこにたどり着くのは容易ではないし、自分のこの解釈もカスみたいなものだろう。しかしながら、これが俺の見る世界、すなわち、この世界に体する実相的感覚なのだ。仏教思想こそ、より人間や、世界の本質に寄り添える、いわゆる宗教的ではない、しかし実践的な救いになりうるんではないかって思ったりしている。

法華経の方便品よりとりあげ、「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相(ゆうぶつよぶつ、ないのうじんぐう、しょほうじっそう)」
諸法実相の項において。
この一偈に込められたもの。現時点で解釈するならば
「この世界(宇宙)は唯、仏(神やいわゆる“仏”という人格的、人間からして人間対象的なものではなく、宇宙存在に対する我々からしたら超越的な原理をさす)であり、仏が在らせているものであり、それ以上でもそれ以下でもなく、遍くその力、それは法則であり、神秘であり、『ただ、世界を「この状態」に存在させている原理』であり、あらゆる物事の法則性や、もののあり方は、様々な仕方をしながら、その原理をあるがままに示している。それは、ただ、それ、である」
多少、色つけるとこんな感じだろうか。
諸法実相は、ハイデガーやウィトゲンシュタインがこの世界がこう在る事に対する純粋な驚き、感動の体験を記した時のものにどこか通ずるものがあるような気がする。

如来=仏。

仏陀、世尊は、如来を識った人。

道元は宗派という概念を強く否定する。まさにその通りだと俺も思う。なぜに仏教に宗派が必要か。寺さえもいらんと思っていたけれど、経の項に触れたときになるほどと思った。が、
現代でまともな仏教者と言うのはどれほでいるのだろうか。宗派に依れば、仏教の本質からはどんどん離れていく気がする。


、、、、、、、と、2007年末に俺は書き留めていたらしいのだが全くもって覚えてねえ(ひさびさ古いノートPC開いたら書いてあった、コいてるな!!)

でもなんかいつか出家してみたい俺としては(藍坊主だけに)、今も変わらない部分があることを感じた。

神社だか寺だかよくわかんない場所で、年の始まりの願をかける。

賽銭投げて願いが叶うかいな!(おれ神社でバイトした事あるからその虚しさを知っている。ラッシュ明けに賽銭ずだぶくろにせっせとつめてたのよ)

それでも俺もおみくじをひき(大吉!!)、家族の健康を祈ったりするのだ。

不思議なり人間。

今年も宜しくです。
素晴らしい2012になりますように。

YES.2012/hozzy

ウルタシュタイン。

気がつけば、部屋が生物研究所のごとく生き物と機材で溢れている。
どうしてこんなことになったんだろう笑!
こんなに生き物が好きだったわけでもなかった気がするのだけど、、、、。

しかし色んな種類の生き物を飼ってみるとほんとに環境って大事なんだなって思ったり。
人間(俺)ってなんて傲慢なんだろうって、飼育者自体の自己矛盾に陥ってみたり、、、、(生き物好きなのに、彼らに与えてる環境は自然下に比べたら最低である)
ふと出る生命が醸し出す神秘的なオーラに数十分間金縛り状態になってしまったり。

すごいべんきょうになる!

生き物にとっちゃたまったもんじゃねーけどな。

「うわあ、かわいい」

って震えながら女子がよく言う感じ、昔は死ぬほど「意味わかんねー」って思ってたのが、なんかわかるようになっちゃったもんな、、。

「ときめく」ってこういうことか、、と。

気持ちわる。

けど本当にわかったよありがとう。

これは本読んだり、女性と話しているだけではわからなかったことだ。
人間性の向上であると笑、信じたい。

そしてリクガメを飼い始めた。

ほ乳類と全く違う生態をしている変温動物なので、色々初めてな事が多くてわくわくヒヤヒヤだ。

イエローサブマリンという名前をつけた。

黄色くて潜水艦みたいだからだ。

おれはムツゴロウさんにはなれないが、ムツゴロウさんもおれにはなれない。

俺が君になれないように、君もリクガメにはなれない。

リクガメが人ではないように、君はは虫類ではない。

は虫類がほ乳類ではないように、ギターはベースではない。

ギターとベースの違いがわかるまで中学生の頃結構時間がかかった。

意識するまでベースの存在にさえ気づけなかった。

なのに一度聴けると、もう次からベースが聴こえるようになってた。

これを探す旅だ。ベーーーーーーーイ!!

イエローサブマリンに乗ってゆくのだ。

イカはタコではないように、10本が8本ではないように、月食が日食ではないように、横顔はただ一面でしかないように、、、、。

今日も良い音楽をさがすぞ。

YES.yellow/hozzy

アルタゲーデル。

わしは漫画好きでまあまあ読む方だと思うんだが(本棚マンガと都市伝説と哲学ばっか)、やっぱり漫☆画太郎はすげえと思ったんだ今夜も。
先生のばばあへの愛情(狂愛か)に毎回殺意を覚えながら同時に心穏やかにさせられる不思議。
ばばあを煮詰めたようなあのシンプルなババア劇場には嫌悪を遠く超えた深い歓喜があるよ、、、。
「まんカス」読んで腹がネッジ切れるかと思ったぜ。
徹底してなさる漫先生の存在感。
当分読みたくねー、なんか。
くだらなさすぎる。
それなのになんだこの満ち足りた気分は!!!
これが人を喜ばすと言う技術の高さなんだろうか。
えらいまいった夜でした。
夢に見そうだ。
最高だ。

そして「生命のシンバル」発売だ。
今夜は俺はババアと共鳴させながら心で揺れていようと思う。
ジャケも今回も凄くいいし、コア石川さんありがとう。
そこも味わってもらえたら本望です。
楽しんでくれ!

YES.vavaah/hozzy

オルタノイマン。

くすぐったいってことを考えてみるってことをさっき思いついた。

ので考えてみよう。

くすぐったい。

なんで自分で首とか、脇の下とか触ったり、はたまた自分への褒め言葉を発してみたりとかしてみても、くすぐったくならんのだろうか。

子供の頃から私は相当のくすぐったがりやで、大人に高い高いとかしてもらえないほどだった。
脇の下を意識した瞬間、背筋から蒼い火花がほとばしるようでよく悶絶していた。

人をくすぐった時も、やはり不思議な反応を見る事に気づく。

例えば、まず相手に軽く触れ、くすぐるかくすぐらないかの微妙な振動を腰などに指先で与える。

この時点で相手にくすぐったさを感じさせてはならない、会話が余裕で出来る程度の振動である。

そしてあるタイミングで「くすぐったくないか?」というニュアンスのメッセージを相手に伝える。

すると相手は十中八九は身悶えする(中には動じない人もいるけど笑)

これは誰にでも思い当たる節があるんじゃないかと思うんだけどどうだろう。

不思議じゃね?

物理的にはずっと感覚神経が同じ刺激を受け続けているにすぎないのに、時と場合(条件)が揃うとなぜにこんな「くすぐったい」という状態があらわれるのか。

オシロスコープみたいので、腰への指による刺激の波形を記録してみても、そこには淡々とただ一定のリズムがあるだけで「くすぐったくなった一撃」と「まだくすぐったくない一撃」の違いはおそらく無い。

なのに押される側が「くすぐったいということ」を意識したとたん、その刺激がくすぐったくなるのだ!

波形はただただ一定を記すのみなのに。

ためしにその瞬間の脳波を計ってみたらどうなるか。

きっと、くすぐったくなった瞬間に大きくその波形は乱れ、大きな「ビンッ!」ってやつを描くだろう。

けれども、頭を思いっきり引っぱたいたときにもその波形は大きな「ビンッ!」を描くだろう。

波形計測の問題点は、何の刺激に対しても前の状態に対して過剰になれば(いきなりくすぐられようが、いきなり殴られようが)波形は大きく「ビン!」って反応してしまうところだ。

もし記録だけをみたら、極論、その波形が、くすぐられたものなのか殴られたものなのかが、結果、スコープ上ではわからなくなる可能性がある。

そんなバカなって話だけど、数値状の記録を解析してそれに解釈を与える事が厳密な科学なのだとしたら、これは本質的な問題だ。

その記録された数値から、起きた現象(くすぐったいか、痛いか)を再構築できなければ科学の“科学的”たる意味がないからだ。

さらに面倒な事に人によっては、「くすぐったい」と「いたい」が即、性的快感に変わってしまう場合もあるかもしれない。

その時は波形による「くすぐったい」と「いたい」の選別さえ絶望的に困難になるだろう。



つまり完璧なる「くすぐったい一撃」なるものは物理的には(波形的にも)存在しない。

なのに俺たちは「くすぐったい一撃」があることを現実として知っている。

つまりこれこそが心があるということだ。

この科学に対する矛盾こそが「心」の存在の証明でもあると言いたい(かたくるしいな)。

科学的観点からは解決できない現象だ。

くすぐったさはよくよく心と直結した現象だって。こう言えるのではないかな。

と本日結論づけて眠ろう。

そもそもくすぐったいって、なんなんだろう。

痛いとか面白いとか悲しいとか嬉しいとかよりもずっと出会う機会が少ない状態なもので、よりふわっとしている。

そんななか12/7にニューシングル「生命のシンバル」がでます。

今も曲作りに沈没している。

今年も残りわずかなり。

がんばろう。

YES.oscilloscopes/hozzy