藍坊主 | Column
14
blog,paged,paged-32,eltd-core-1.0.3,ajax_fade,page_not_loaded,,borderland-ver-1.4, vertical_menu_with_scroll,smooth_scroll,paspartu_enabled,paspartu_on_top_fixed,paspartu_on_bottom_fixed,wpb-js-composer js-comp-ver-4.5.3,vc_responsive
 

藍坊主

Column

バクテリア大爆発。

俺のたった一つの過ちで、クラゲが死に、大好きだったニモも死なせてしまった。
ここ数日はショックで、たまっていた疲れが津波のように押し寄せて、3日くらい前には一日臥せっていました、、、。

しょっぱなからダークな文で申し訳ないが、本当に哀しかったんだよ泣。

俺ってなんてがさつで適当なんだろうって、ペットに対しての敬意が非常に足りてないところが浮き彫りになり、謝っても謝りきれない現状に水槽を一つ畳みました。

環境のバランスというものの偉大さが身にしみて解ったです。。。

私がそのバランスを己の過信で破壊してしまったのです。

殺したのです。

ベランダにあるゆずの木の根元にクラゲとニモとデバスズメダイを埋めました。
もうニモは飼わないことにしました。
本当に好きだったんだもの。
ひどいことをしてしまいました。


なのに、わたしの水槽に対するパッションは止まらないのです。
完全にやめるつもりなどさらさらないのです。

なぜなら、私が人間だからです。

欲望を、直接的ではない快楽を(決して水槽の景観そのものに恍惚感を覚えているわけではない、それを美しくしようとする行為に、想像に、快感を感じているのだ)、つきることの無い理想を、それを私は、「パッション」と呼ぶのである。

『パッション』

なんてむかつく響きなんだろう。

フルーツか?ってんだよな。

でも情熱って言ったら違うんだよ、パッションなんだよこの感覚は!

馬鹿みたいな、間の抜けてるあっつい感性なんだよ。


そして、人は前を向いて気がつけば悲しみを忘れて、歩いてゆけるのさ。

ばっかじゃねーーーーーの!!

歩いてゆけるのさ。

ほーーーーーーーーーう!


俺の藍坊主への生き様はパッションだぬおー。

真面目にやってたら、音楽なんてできやしねーの。

けど不真面目にやってたら全くミュージックなんてできやしないの!!

この難しさがミュージシャンの宿命であると私は今日も思ったのである。


いい音楽は確かにあって、素晴らしい響きは歴史にたっぷりと刻まれている。
なんて身近にスペシャルパッションが溢れかえっているんだろう!!

アンパンマンの歌とかすごい最高じゃん。
「なにがきみのしあわせー」
のメロとかぐっときちゃうよ。

タッチの主題歌とかも「あなたからーー」のとことかすごいねじ込まれる。

そしてレディオヘッドの「KID A」はいつ聴いてもリセットしてくれる。
このアルバムはほんと何十回聴いてんだろう。


ネコをもう一匹飼った。
アビシニアン。
オス。
3ヶ月半。

名は、ピカソ。

「なんてメジャーな!」

って思うか知らんが、本当にピカソって感じの顔、体色をしているのですよ。

もう一匹いるクレー(メス猫)ともようやく慣れてコンビを組みはじめている。

しかし俺の方が猫よりマイペースなため、気を使われているときがよくある笑。
特にクレーはよくできた娘である。

猫って情愛。
犬は広大。

YES.picasso/hozzy

ナウプリウス音楽。

少しずつ前に進んでる。
個人的な作業。
曲作り。
ってか曲練り。
細かくやればやるほど細かくなってゆく。
永久に点を打ち続けることができる小数点。
うざいよ、てんてんさん。

「、」じゃなくて早く「。」を打ちたい、、、、。

決定的な解決法が音楽にもあるはずだと信じながら、また夜が明けている。

クラゲまだまだ元気です。
半透明です。

YES.artemia/hozzy

スーパースペシャルデラックスハイパー。

まだまだ生きてる元気なクラゲ。

つーか、触手とか伸びて成長してきてるようだ。

コツをつかんできたかも。




昨日の深夜、この世界を旅立った、俺が大好きだった祖母、ふさ江。
まだ涙はでない。
最期の最期まで生き抜いて、半端無くかっこよかった。

あきらめないことってものすごく素晴らしい。
命全部で示してくれた。
一生忘れねえ。

俺も頑張るぜ、おばあちゃん様。

YES.ikiru/hozzy

エレガントな答え。

小学生の国語の問題です。

問題1

空らんの□にはいることばをひと文字、漢字で書きなさい。

雪がとけると□になる。


さあ、あなたはなんて書くでしょう?


昔、新聞にのった、とある小学生のテストの問題。
普通に小学1年とか2年とかの国語のテストにでていた問題らしいのですが、
とあるひとりの小学生の子が、これに素敵な答えを書いたってんで新聞で取り上げられていたのだそうな。

そしてこの話が新聞に載った当時、ちょうど小学生だった俺に、うちの父親がこの新聞の問題の話をしてきました。

「さあ、答えは何だと思う?」

私は、「川」と答えました。

普通だったら「水」とかって書くんだろうけど、わざわざ新聞に載る出来事なんだから「ミズ」なわけはないだろうと、子供なりに考えての回答でした。

「ああ、お前も想像力がないなケンタ、普通だふつう。間違いじゃないが、ふつうだ凡人だ」

カチンときましたが、他に何にも思いつかなかったので、答えをきかせてくれと頼みました。


新聞に載っていたその回答は、

「春」


でした。


いまだにびびっとくる笑。
小学生がこの詩的な回答を、学校の国語のテストって閉鎖された枠組みの中で、思いつくって半端無くすごくない?
その答えをきいて、すげーってやっぱ小学生の頃の俺も思いました。
しかもこんな問題が出るのって1年生か2年生でしょ?
びびっちゃうよ。

雪を、そのまましか見ていなかったら、~になるって言ったら「水」に関連することからなかなか抜け出せない。
雪をもっと広い範囲で捉えられないと「春」ってでてこない。

いまだに、同じ問題出されて答えを知らなかったら、おれはきっと「川」って答えるでしょう笑。

ある小学生のとらわれないものの見方が、未だに、少なくとも俺の心には印象に残っている。
イマジネーションが人に感動を与えるってリアルを、名もなきその小学生から未だにもらってます。
思い出すもんこれ。
刻まれてる。
その彼(彼女?)が今はどんな大人になって、どんな風に世界を眺めているのか。
知る由もないが、きっと素敵な大人になってるに違いない。

あなたが始めから□に春といれたなら、もしくは全く新しい違う答えを入れたなら、俺はずいぶん尊敬する笑。

その感覚をわけてください笑。

YES.spring/hozzy

ムジサンシップに則り。

とうとういろいろ情報解禁されました。
シングルとライブDVDが11月にでます!

今回のシングルは、藍坊主初の「両A面シングル」ってことで、気合いの入った(つってもいつもB面も全力で作っているんだが笑)、ライブでも主役張れる二曲が詰め込まれてます!

プラスライブDVDの音源が3曲入っております。



1200えん。



なんて安いんだろう!
音楽ってこんなに安くていいのかなって思う。

内容に対して対価が (制作側に対しての尊重が)、近頃どんどん安くなってないかって感じ。

渋谷のHMVもなくなっちゃったしなあ。

最近は音楽なんてただみたいなもんでしょ?(全ての人がそうじゃないとしても)
ネットでピッてやれば、違法に落ちてしまうし、YOUTUBEも便利だしいろいろ(イロイロ)
くそみたいな音質でも、曲がわかればいい人が多くなってるらしい。

ミュージシャン泣かせな時代である。

そのちょっとの音質や響き方の差に、途方も無い神経と時間と集中力と人力とロマンをかけているのに。



このおおいなる大問題は、環境問題と等しく深刻である。



エコエコ言ってるうちに、下手したら、音楽一般に対する創造力が破壊しかねない状況である。


音楽の衰退は、
文化の衰退である。

文化の衰退は、
人間性の衰退である。

人間性の衰退は、
社会全般の衰退である。

金が欲しいからこんなこといってるわけじゃないよ。
クラゲもっとたくさん飼いたいからってこんなこといってるわけじゃないよ笑。

ミュージシャンやってる人間で、金のためにやってる人なんてほとんどいないと思うよ。

俺なんか、自分の表現が濁り無く心底できるなら金なんかほんとゴマみたいなもんでしょ。

だってミュージシャンだぜ笑。

ミュージシャンは自分の創造力をぶつけるために、色んなものを投げ打ってる(未来への安定とか、社会的ポジションとか、社会的信用とか)

けど、その情熱が、今の時代はあまりにも軽く扱われている(その情熱を必要とする人が数えきれないほどいるのに)


正直やってやってらんないすよマジ。


売れる売れないとか以前に(自分たちの音楽が人に届くか届かないか以前に)、売れないにしても、ひどい扱いだよねミュージシャンに対する敬意って。。。。



全てはiPodがわるいのか?

いや、違う。

ネット社会が悪いのか?

いや、違う。

携帯電話の普及率が悪いのか?

いや、違う。

キムチ鍋をつつきながら、そこに入ってる豚肉をただの「豚肉」と思っているような社会全体が悪い。

豚肉は、生きていた豚だ。

その命を奪ってパッケージされた消費原料だ。

生きていんだよ。

音楽は、「音楽」ではない。

だたそこに、鍋に入っておいしい豚肉のように、そこに気づけば入ってるものではない。

それは売れる売れない(おいしいおいしくない)は聴く人(食べる人)に委ねるとしても、音楽はいろんな人たちの精神が関わりあいながらつくりあげた血の通った命みたいなもである。
ポンっとそこにあるものではない。

豚肉をスーパーでただ食いする人間はいない。

音楽は今ではただ食いの嵐である。

誰か一人が悪いわけではない、この社会の中の人間の集団の曖昧さが悪い。


そのうちほんとにミュージシャン全体が方向を失ってゆくよ。

やる気がなくなって、

それこそウンコみたいなミュージックしか産まれてこなくなるよ。


俺もあと何年かして、この状況がもっとひどくなるようだったら、形としては趣味で音楽作ることに、そこで自分の表現を死ぬまで追求することを選ぶようになると思う。

だって、バカみたいじゃんマジでやってるの。

精神ぶち込んでるのに。

それでもミュージシャンはやめないと思うけど、このフィールドにはいたくなくなる。

俺には俺の理想があるんだし、その対価は社会に生息している以上ちゃんと得たい。


まあ、この音楽商品軽視化問題は改めて、深く考察するにして、ここでやめとう。


強制感がつよくなるのはやだし笑。


けど全ミュージシャンの気持ちは、これにつきると思うよ。


DVDも楽しいよ。

なんたって、雨振ってたしね。


そして最後に、言わしてくれ。


これは俺のコラム、自由ダーーーーーーーーーーーー!!!


こんな時代が早く終わりますように。


YES.CD/hozzy

種も夢を見るのものか。

「ぼくらはどこへゆくのだろう」

ある肌寒くなった秋の始まりに、ポジョニョムン少年はふと夏の名残を憂んでおりました。
見渡す限りの大地の曲線。
切り立った崖には無数の鳥たちが弧を描いて新しい季節を享受しています。

「ぼくもあの鳥たちのように、どこかへ、、、、いや、どこまでも純粋に生きたい」

崖の下には透明をすぎてコバルトブルーになった細い川が、少年の気落ちなどには1%も関与すること無くとうとうと流れています。
決して地味ではない山の色合いも、雲の冷たくなった輝きも、決して彼に繋ぎ合わさること無くそこにあります。

空気が遠い。
否、手を離れていっている。
なのになぜか、その形が、心に流れ込んできている。

この恐ろしい出来事に、ポジョニョムンはまだ気づきませんでした。
ただ、自分がぼんやりしているだけなんだろうと思っていました。

『おまえはどこからきたわけでもないのだから、どこへゆくはずもないではないか』

突然の風の狭間から、老人のようなかすれた低い声が響きました。
少年は耳を疑いつつも辺りをせわしなく眺めましたが、人影の欠片も見当たりません。
不安になった少年は、崖から一歩後ずさりをしました。

そのときです。

背中を誰かに強く突き飛ばされ、声を上げる暇もなく谷底に向かって真っ逆さま。
必至に空中で手をかき回しますが、万有引力の法則はさすがに偉いです。確かに彼の体を地球の中心へ慈悲も無く引っ張っていきます。
悲鳴をあげるかあげないか、
全てのインスピレーションが混乱し尽くしたそのとき、川から突き出た岩に運悪く頭から激突してしまいました。

ゴっつんこ!

その瞬間に、なんだろう、全ての答えが解ったのです。
正確には、そんな気がしたのです。
『どこからきたか』その質問に打ち付ける答えもわかりました。
『どこへゆくのか』その明確な目的も同時に解った気がしたのでした。

「わかったなり!この細胞が答えなり!!」



ぶううううううううううううううううううううううううううううん



目が覚めたら、凄まじいエネルギーに包み込まれていました。

「ああ!なんか居眠りしてる間に、ゴールしてしまったじゃないかよ。なんかごめんみんな!!」

夢を見ていた精子くん第一号は、そんな風に半覚醒のまま勇者になりました。
並みいる強豪たちを抑えて、分裂する権利を手に入れたのです

さあ本当のはじまりが始まります。
しかしこれから更に厳しい関門が待ち受けています。

今度は、これから生きる世界の中で、どこへゆくのかを定めていかなければなりません。
答えは在るのでしょうか。
いまは希望だけがポジョニョムンを包み込んでいます。

負けるなポジョニョムン!!


そしてここからが、私の長年の疑問です。
精子や卵子というものは、生命なんでしょうか。
それらが結合した瞬間からが生命なんでしょうか。

おそらく、じょうしきでは、精子や卵子は生命ではない。
法律や、倫理がからむところでは生命であってはならないはずです。

なぜなら、もし精子や卵子を生命としてしまうと、マスターベーションや(男性の場合)月経が(女性の場合)法律違反や不道徳になってしまうからです。
マスターベーションは表立っては不道徳の色合いがまあ、濃いとしても(しかし男にとっては不可抗力です)女性の月経が不道徳となると、現代社会においては特に旗色悪いです(昔は、それをケガレとしていた民族学的な分析もあるみたいですが、、、、昔は男中心だったりまじない指向が強かったりするからそうなったりしちゃったみたい)

ということは、精子や卵子の状態というのは、少なくとも倫理上は人間が罪の意識を持たないレベルで「生命」ではないとすでに断定されているわけです。

ところがよくNHKなんかでもよくやってる「生命の神秘」的な番組とかで精子が無数に泳いでる映像何かを見ると、どうみても生きてるようにしか見えない。
あれを初めて見たときから、おそらくこの疑問は始まっていったと思うのだよ。
小学生の時の保険の授業の時にはひどく不安定な気持ちになった(いろんな意味で)
今も、これ読んでる人が気分悪くなったりしたらすまないとおもいつつ書いてます。
そうなったら、すいません。

俺、シラコとか食えないもん。
なのに、タラコは食えるんだよ。

この差は、俺が男だからってのもあると思うんだけど、卵に対して、精巣ってのがなんか生々しいとかんじるのは、やっぱあの映像のせいだと思うんだよ。

卵は、待機してるじゃない。
静じゃない。
勝手に始まったりはしない。
だからなんか安心感があるのかな。

生命の線引きってのは、つまるとこ人間の作った定義状の問題でしかないと思うんだけど、精子がほんと不思議。

けどよくよく考えたら白血球とかも勝手にがんがん動いて細菌とかやっつけてるから、これとおんなじものって思えば不思議じゃないのかな。
俺が全く知らない所で、まるで別の意志を持ってるかのように勝手に増えて減って敵をやっつけてくれてるんだもんな。

おう笑。

そういうことか、書いててなんか納得した笑。

つまりは、ぜんぶ、が生きててこの体ってことだ。

たまたま精子の役割分担、卵子の役割分担が始まりに関係してるから、なんか特別な感じがしてしまうのか。

精子や卵子は「生命の一部」であって結合しなければあたらしい生命ではない。

結局この当たり前の文句に収まった笑。
けどまあ、不思議だよこれって。

とりあえずこれでやめとこう。
ぼーっとしてきた。

YES.pojonyomun/hozzy

ブルブルブルーム。

とうとう私は誘惑に負けて、クラゲを買ってしまいました。
二匹で3980円でした。
経済の策略に屈しました。
完敗です。。。
しかし、とても快感です。
こんなに気持ちいいとは思いませんでした。
音楽を頑張って良かったと思いました。
経済最高!って思いました。
費用対効果という言葉を良く聞きますが、私にとってクラゲの精神的効果はそもそも金銭に対して超越的です。プライスレスです。
だったらさっさと買えばよかったのに(うだうだ考える前にね)
ずっと欲しかったよ、君が!
君たちに触れてみたかったよぼかぁ!!
5000円を道ばたで拾ったときよりも感動的でした(夏前にコンビニの近くで拾い、そのまま懐にしまい込みました。警察には届けませんでした。なぜならそのちょっと前、自動発券機で1万円近く釣り銭を取り忘れた時、誰も僕にそれを教えてくれなかったからです。僕の後ろには無数の人が並んでいたというのに)

サンゴの美しさも正直霞みました。
間近で見て、触れて、餌を与えてみて、また凝視していると、なんて美しい生き物だろうと繊維のような触手一本一本にまで、意識は遥か彼方に吸い込まれて点と化します。

私が想う生命の理想型です(ああ、クラゲになんてなりたくないけど、、、なりたい、、、なりたくない、、、なりたくはねえなやっぱ、、、けど一回はなってみたい、、)
私が出会った生き物の中で最も理想型の形をやはりしておりました。
かぶりつきたいです。
食べたくはありません。
かぶりついて噛み切りたいだけです。
子犬がケツをふりふりしているかわいらしさに、なぜか愛しさと憎らしさを感じる瞬間に似ていると言えます。
蹴ったらきっともの凄く後悔するし、許されざる行為だと理屈では解っているけれど、思い切りそのケツを蹴り飛ばしたくなるような衝動がどこからか沸き上がってくるのです。
なぜでしょうか。
愛しすぎるそのケツは、まるで私の愛のひとけりを待っているかのように愛らしいのです。
蹴っては駄目です。
ただ、蹴りたいのです。
そのむずむずする葛藤が、クラゲのフォルムには凝縮されているのです。

「壊れそうなほど、狂いそうなほど、切ない夜には、そっと抱きしめてーー」

LUNA SEAのローズィアのこの詞を援用するのなら、

「壊れそうなほど、狂いそうなほど、切ないケツから、そっと抱きしめてーー」

と言う感じに、子犬のケツはDesireです。
クラゲの存在はTrue blueです。

さて、どのくらい長く飼えるのでしょうか。
買った店では長くて半年ぐらいが寿命でしょうと言われたのだが、なんたって私のパッションはそんな店員の常識では計り知れないものがありますから。
巨大にしてみせますよ。
ええ、やってやりますとも。

とか言って、さっき家帰ってきて水槽見たら、濾過器の吸水口のところにさっそくクラゲが張り付いておって、ぴくぴくして危険になってました、、、。

まずは1週間、、、、、様子見てみます、、、。

YES.luna sea/hozzy

収納上手な皮膚の中。

結構前に、電車の中の広告に(あれは人体の不思議展的なやつだった気がする)、人間ひとりの血管を繋ぎ合わせた総直線距離は地球を2周半する長さだ。ってのを見て衝撃を受けた記憶がある。
そんで今ネットで検索したら(なんてインスタント、便利だけどなんかすいません。。。)約10万キロの長さになると書いてありました。
本当にそんな長いもんが体の中に詰まってると思うととんでもない気分になるよね。
ものすごく細いんだろうけど、気が遠くなるほど長い血管。

人間の髪も、昔テレビで見た記憶があるんだけど(確かトリビアの泉)一日に美容院で切られる髪の毛をある範囲の地域で集めて、体育館みたいなところで繋ぎ合わせていったらとんでもない長さになったってのをやってた気がする。
大気圏超えて宇宙まで伸びるくらい(だった気がする、、、で、へぇーーってなった気がする、、、記憶違いだったら申し訳ない、、)。

大気圏は地表から約500キロメートルくらいまでを指すらしいので(これもネット情報、、、)とんでもない高さになる。
ハイパーモヒカン野郎状態ですな。
首を水平にぐるりとまわしたら、盛岡、金沢、大阪、太平洋、風のように攻撃できる距離。
全世界で一日に切られる美容院や床屋の髪の毛を繋ぎ合わせたら、とんでもない長さになるんだろうな。

つーか意外と宇宙までって近いんだ。
ってこういう比較をすると思ってしまう。
盛岡までの距離を垂直にしたら宇宙についてる。
つってもあんなに高い富士山が4000メートル弱って考えると、500キロってとんでもない距離だけど、、、。
いかに重力に反することが地球の生物にとって重労働かがわかる。
俺もすんごい昔富士山登ったけど、高山病で途中でゲロ吐いてめっちゃしんどかった。
頂上ついたけど、景色とかあんま記憶に残ってない笑。

だけども、血管なんて100000キロだからね。
四人分の血管を繋ぎ合わせたら、月まで届いてしまう計算になる。
藍坊主のメンバー分で月に触れられる。

体の全細胞を縦に繋ぎ合わせたらどこまでいけるんだろう、、、、。
その細胞の外表面を仮に、真っ平らに展開して繋ぎ合わせたらどんだけでかい空間になるんだろう、、、、。

恐ろしい。
考えるだけでパンクしそうです。

YES.fujisam/hozzy

自由研究。

何度見ても生き物というものはすごい。
「生き物というもの」って言う表現が適切かどうかはわからないが、生き物というものはどこまでもとどまらないのがすごい。
細かく言ってしまえば、この世界に在るあらゆるものは、留まっているものなんてなにひとつないんだけど(石もガラスも常に風化を繰り返してる)人間である自分の目から見える日常世界においては生物の留まらなさを確認するのが限界なので、やはりそれを素直にすごいと思うのである。

哲学や理論系に浸った時間は決してむだではないけれど、やっぱり無機的な言葉の連続の中に身を置くことで見えなくなってしまうことも多かった。
哲学はどうにも世界の事象の核になるものを見つめる作業になるから、言葉も色彩的表現を欠いて(ウィトゲンシュタインだけは例外的に詩的!)、建築物で言うなら鉄骨のような骨格的言語の繰り返しが主になる。

ここまでに書いてきた文章のように、硬いものにどうしてもなる。
日常的言語では芯の部分にどうしても迂回的になる。
理詰めで余分なまとわりを省き続けなければならない。

それはそれでものすごく情熱をかき立てられる作業だけれども、人と喋ったりするとなんか変なふうになったりする。
会話には理論なんて必要ないのに(まるでそれはただ面倒な人間の独り言のような)、そっちにどうしても導かれるようにバイパスが出来上がってしまうんだよ。
それが面倒で、攻撃的になったりもしちゃったな(俺の世界はまさに白い柱が荒野に無数に打ちつけられているような光景だった、、、、とかカッコつけてみる、、、、)

そんな状態は決して日常生活にとっていいものではない。
たった一人で山の中に棲んでたりしたらとってもいいことなのかもしれないけど、ニーチェのツァラトゥストラのように(俺は自分はそうなると昔は思っていた)

哲学が人生を駄目にする、ってどっかで聞いたことがあるけど、何となく解った気もする(言うほど極めたわけでもないんだけど笑、あえて言わしてもらいます)
ただ、人生を違う方向で豊かにするのも事実であって、ただ悪いものでもない。
毒と薬は紙一重って正にこのことだと思う。

自分で言うのもなんだけど、俺は哲学的センスは悪くないと思う、だってパッションが半端ないもの。
向き不向きで言うなら、もの凄くむいてる。
中学の頃から予感を感じていたのよマジで。
当時の現状と自分の感覚のずれについてひどく悩んだものでした(今も、そしてこれからもそれは続くと思うけど)
端から見たら、それは普通の生活を送っている人間のそれに見えるであろう日常が、俺の方から見るとどうにもこうにも整理しないと生きていけない風に映ってしまってしょうがなかった。
人間は誰もそんな感覚を持っているのだろうと思うけど、要はそれが日常生活において大きい障害か、まあまだ我慢できるか、ちゃんと無視して過ごせるか、のそれぞれ受け取る側の感覚の違いだろうといえる。
俺は無視できなかった。
いつもなんかのどの奥に魚の骨がつっかえているような気持ち悪さがあった。
もうあらゆる物事に細い光しか当たっていないようにしか見えなかった。
真実はどこだ、って気になって気になって仕方が無かった。
真実なんて、いまならもうどこにも無いって言い切れるんだけど(あくまで私見です)、何もよりどころが無い14歳とかには厳しいよね、常にわけがわからく不安なのは。

まあそんなで何か時間を置いて本がちゃんと我慢して読めるようになってから、マジで勉強を始めたのでした。
好きなことを、自ら学ぶってのは実に気持ちがいいことだとその時始めて知った。
何年かぶりにノートとかにメモとか書いたりしてたからね。
ボールペンに違和感が、鉛筆とか普段握らないもんね、このご時世。
キーボードで打っちゃうもんね。

すげえ世界がそこには広がっていた。
ぶっちゃけ音楽より衝撃受けちゃったと思う。
音楽が変えられなかった、この世界を見事に、静かに、めちゃくちゃにしてくれた。
無音があんなに恐ろしいと思ったことはなかった。
音楽で発狂しそうになったことはさすがに無いけど(いや、ニルヴァーナで一度ある)
文字は人間を本気で殺せる勢いがある思った。
限界ギリギリで電車を降りたことが3度ある。
その度生きてるって(意識があるということ、時間があるということ)なんてすごいんだろうって理屈の方向から思ったのでした。

もし宗教心というものを俺個人が提示するのだとしたら、哲学から受けた感覚を、俺は礎にして生きているって言えるかもしれない。
そこに神様みたいなものは、ないのかもしれないけど、遠藤周作の「ディープリバー」にでてくる『たまねぎ』のたとえに相当するものだと言える。
この本面白いからおすすめです(たくろうさんは遠藤周作大好きです)

今日もキリスト教会の人がうちに訪ねてきて、聖書を読み合う会があるからいかかがですか?といわれたんだけど、

「哲学があるからいいです」と断った。

こういう場面でも便利である。

そして冒頭の生き物ってすげえって話に戻るんだけど、お魚さん飼ったりサンゴ飼ったりクラゲ飼ってみたいって思うのって、直にそれを体験したいと強烈に思ったからなんだよね。
むしろしなければならないと思ったの。

最後は理論を超えなくてはならない。
なぜなら、理屈はどこまでいっても生命そのものではないからだ。
日常生活は理屈こねてたら過ごせないからだ。
一番大切な感覚することが、わからなくなってしまうからだ。
それを理解するための哲学に呑み込まれてはいけないからだ。

おれは職業的哲学者ではないんだから、そこまでする必要は無い。
ちゃんと生活をしなければならない。
人と触れ合って、血を通わせて、認め合って生きなければならないからだ。

やっぱり一番美しいのは、日常を素晴らしく思えること。
疲れても頑張れるようになれること。
当たり前にいわれるこの文句をしっかり受けとめられること。

悩みはつきないけど、ぶれがなくなればなくなるほど、この世界の現象を斜に構えること無く受け入れられるようになると思うんだよ。
ぬるい、とか思わなくなると思うんだよ。
エコも許せるようになると思うんだよ。

そこまでいったら、愛の人になれるんだろうか。
べつにそんなもんにはなりたかねえけどな。

『非線形科学』って日本人の科学者の人が書いた非線形科学ってものを紹介する本を今読んでるんだけど、なんか哲学の100年遅れた考え方を今科学に当てはめてるって感が否めない。
内容はとても勉強になりそうな予感がぷんぷんするけれど。
俺は専門家ではないから思い切って書かしてもらうが(責任が無いってなんて楽なんだろう、批評家ってこういう立ち位置なんだろうね)、現代の世界の常識、求めるもの、それを100年から50年前に哲学は既に示してたと思う。
みんながおかしいと思うこと。
そのうち時間に対する人間の定義は180度変わってゆくと思う。
アインシュタインの相対性理論も、100年後には時間に関して否定されていると思う。
物理学そのものの欠点が問題になってゆくと思う。
原子爆弾は創れても、タイムマシンは創れないと思う。
時間と、物質の違いが、そこでおおきな問題になると思う。
脳科学は、50年後、心霊科学と同じ位置づけになると思う。
あれは科学なんかじゃないよ。
そもそも生理学と何が違うんだろう(生理学は科学的です)。
魂を科学が結局扱えなかったように、
意識の本質は、科学的方法じゃ扱えないと思う(京極夏彦の『鉄鼠の檻』にでてくる禅僧が悟りを開くとき、それを脳波の観測によって記述、解明できるのか、というくだりはとても本質的だと思う)。
本当に、本当に新しい分野の登場を待つしか無いと思う。
それを人間が果たして創造できるかどうかはわからないと思う。
でもそれができる超天才がいつか現れることを俺は楽しみにしている。
生きてるうちにそんな方法に出会いたいと思う。

コラムってらくちんだな。
思ってることかきたい放題だね。
この世界にほんとの自由が在るとしたらこの平面の空間かもしれない。

福岡伸一さんって「生物と無生物の間」って本を書いた学者が俺はとても好きです。
この方の生命と科学との触れ言う部分の謙虚さが、もの凄く共感できる。
科学者、生物学者がこんな人ばかりだったら、俺もそうなりたいと昔思ったかもしれない。

俺の幼稚園のときの将来の夢は「博士」でした笑。
鉄腕アトムのお茶の水博士みたいな絵を画用紙に描いた記憶があります笑。

エネルギー保存の法則とエントロピー増大の法則の雰囲気を今日、『非線形科学』からなんとなくつかんだ。
この二つのフレーズを何となく知っていても、どういうことなのか今までよく知らなかった。
これに数式が出てきたら、もう私には解りません、アウトです笑。

カクレクマノミ(ファインディングニモの魚)と、うちにいるネコはなんか似ている。
形は全くもってちがうけど、しぐさがなんか似ている。
このカクレクマノミにあって、初めて魚に対して本気で死んで欲しくないと思いました。
他の魚の命が彼に対して決して軽いわけではないはずなんだけど、情が命を重くするんでしょうな。
ちなみにカクレクマノミは、彼や彼女になったりする変わった魚です。
ペアになるためには性転換も辞さないんです。
うちのは一匹しかいないから、今どっちなのか、男か女か、わからない。

たぶん男。

YES.nagaibun/hozzy

またクラゲのはなし。

なんと水槽にクラゲのようなものが自然発生した!
写真にとろうとしたが小さすぎてピントが合わない。
多分クラゲだと思うんだけど。。。
ガラスの壁に10匹くらい張り付いてる。
たまにただよったりしてる。
この1ミリくらいの生物は、なんだか見れば見るほどクラゲに見える。

どうやら、ライブロックという、サンゴの死骸が海の中で様々な生物の住処になった(文字通り『LIVEROCK』な)生きた石から自然発生したのだと思う。
これ入れると水の浄化に役立つので俺のにも入れてます。
で調べたら、よくあることらしい。
クラゲの卵がついてたんだろうね。

条件が整うと、彼らは発生と変態と分裂を繰り返して水中に漂いだすのだ。

卵→プラヌラ(幼生)→ポリプ(イソギンチャクのように岩に活着)→ストロビラ(ポリプの進化形)→エフィラ(岩を離れ泳ぎだす幼体)→メテフィラ(大きくなった幼体)→クラゲ(素敵)。

この成長過程を見るだけでも、実にダイナミック、かつミステリアスな生命体だと思わないですかい?
イソギンチャクやサンゴの仲間らしいのだが、正にそのとおりポリプを体験している。
ポリプってのは触手みたいな形のものだと言っていいと思います。
実はサンゴもたくさん触手をだすのですよ。
プランクトン捕まえたり、刺したりすんのよ敵を。
うちのサンゴも毎日ポリプを出してる。

クラゲはとどまるのが嫌だったんだろうね。
世界中を旅したかったんだろうね。
サンゴは決まった場所でしか生きられないけど(貧栄養な清浄な水質、最適な温度、強い光がある場所)
クラゲは小田原の海にもいるもんな。
よくわからんタイミングで大量発生するしな。
サイコーにチャレンジャーだよね。
脳みそなんてねえもんな。
ただ流れに流れてゆくってのがどんなに恐ろしいものか私は知らない、、、、。
怖すぎる。

だから、そんなところも魅力なんだろうかね。

とりあえず発見したクラゲのようなものは、プラヌラ→ポリプをもう超えてるような気がする。
足みたいのが、傘みたいのの下にひよひよあるんだよな。壁にひっついてるけど。
もうエフィラとかなのかな。
だとしたら、もうちょいしたらクラゲになっちゃうじゃん!!
すげえ小さいけど、これくらげなのかなほんとに。
ただのゴミではないことは確かなので、とりあえず様子を見てみます!

写真に撮れるくらいもし大きくなったら、みせてやろう、フィジー産もとい、ホジー産のクラゲを!!

つまらんギャグで今日は失礼します。
おやすみなさい。

YES.ephyra/hozzy