藍坊主 | Column
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藍坊主

Column

水耕栽培。

この上の空いた隙間で、球根ヒヤシンスとか育てたらどうだろう。

エレモフィラニベアとか生きられるんだろうか。

エレモフィラって綺麗だよ。

白い茎に紫の花を咲かせるよ。


いつもここの上に乗ってた器具を撤去したらぽっかり開いたこの空間。
色んな可能性に見えてきてしまう。

水耕栽培って植物の育て方があるみたい。
土を使わずにやるみたい。
水槽なんて過剰な栄養の宝庫だから、ここに水上の植物生やしたらとてもいいんじゃないかと思って調べてみたら実際例がたくさんあった。
水も綺麗になるし、植物もよく育つし、生命の流れを存分に回転させられるかも、いいことづくめじゃない。

たいていこういうのには落とし穴があるんだけど笑、やってみなくちゃわからんね。

音楽も作ってます笑。

水ばっかいじってるわけじゃあないよ一応。

なんとか回転させたいんだよ。
人間だから俺は、傲慢ながらも眼中に収まる生態系を作ってみたいんだよ。
理論を越えた現実を現象化させる。

実践。

今の俺に最も必要なこと。
もっともっと感じてえ。

たのしい。

YES.nivea/hozzy

春がくるまえに。

やり残さないように。
撮ろう。
かわべりはまだ寒い。
水質は多摩川クオリティー。

YES.tori/hozzy

水質にもさくら。

東京で桜の開花が宣言されました。
うちの裏の公園もそろそろ咲きそうです。
去年の今頃はクラゲのことばかり考えていた。
夜桜と月が、常にクラゲに結びついていた。
意味は無い。
イメージだけ。

今年はツアーもびっしりじゃないから、花見も楽しめる。
リキッドありがとう!

桜早く咲かないかな。

YES.shirosujiumiazami/hozzy

こぼれる水質。

そして、あえて近所の浄水場ではなくちょっと遠出をしてバスに乗り、川崎市潮見台浄水場の周辺をぐるりと回ってみた。
休日なので人の気配は全くなし。
花粉だけが本日も張り切って存在感だしまくり。
そして妙なテンションの上がり方をしてしまう自分がなんだか怖かった。
だってこんな施設見て喜ぶのなんてちょっとオタクじゃん!!
つーかオタクになってんのかな。
マジで中を見学したい。
どうやったら見れんだろう。
そして濾過装置について語ってほしい職員さんよ。

YES.siomidai/hozzy

とうぶん水質。

そして、ドリルでガラス瓶に穴をあけ、自作の水槽濾過器を作ってみた。
始めはペットボトルでつくったんだけど、なんかかっこわるい。
だって「なっちゃん」なんだもの。
飲むのは好きだけど、キャップがうす黄緑なのはいただけないんだもの。
浮力に耐えきれないしね。

つーわけでガラス瓶に穴をあけ、そこにプラスチックの管を差し込み、ゴムチュームを繋ぎ、金魚のぶくぶくを接続し、瓶の中に新素材の濾過材をぶちこみ、出口にネットをかぶせる。
常に水流によって回転することにより、淀みなく全ての濾過材が効率よく機能する(らしい。固定してる状態に対して1000倍くらいよくなるんだって)

噂によると、浄水場でもこれに似た濾過システムが使われたりしているのだそうな。

最終的には、フラスコとかで濾過槽がつくれたら面白いと思うな。

とりあえず一ヶ月くらい様子を見てみよう。

光に照らされた白い玉の回転は、なかなか魚たちをくう存在感を放っている。
ビューティフォー。

YES.siroitama/hozzy

クラゲはつぎさ。

すげえ。
やべえ。

底面濾過と、流動濾過を組み合わせたら結構すげえんじゃねえ?ってさっきハッとなった。
また水槽のことで申し訳ない。
だってパッションがとまんないんだよ。

ペットボトルを使えば簡易的にそれを作れそうだ。
瓶なんか使えばもっとそれらしくなるっぽい。
ガラスに穴をあけるドリルなら持っている。
まあとりあえずペットボトルでやってみよう。

革新的な雰囲気がする水質維持方法にすぐ目がくらんでしまうよ。

流動式の濾過ってのは割と最近の形態らしい。
なんだか情報量が他に比べて極端に少ない。
けど非常に期待が持てる予感がする。
わりと実験段階なのかな。

ちなみに自分が知る限りでは、こんだけの水槽の濾過方式がある。

上部式濾過。
底面式濾過。
投げ込み式濾過。
外掛け式濾過。
外部式濾過。
オーバーフロー。
水中式濾過。
背面式濾過。
最近知った、流動式濾過。

これらの組み合わせが無限の想像を生んじまう。
じっさいすげー頭の体操になってる気がする。

近所の浄水場にマジで見学申し込みたい近頃。
水道水の清浄化の現場がみたい。
歩いていける距離に施設があるんだもの。
ただ見学ってできるのかな。
電話してみなくちゃ解らない。

どんな形で水を綺麗にしてるんだろう。

ごりららっぱぱんつつんでれ。

れんこんの穴は酸素供給のための穴らしい。

YES.ryuudou/hozzy

つぎはクラゲさ。

ふたりでシルバーも終了し(皆さんありがとうございました)、いよいよこぼれるシルバーが近づいて参りました。
新宿と横浜、タクロウが最後参加しカホーンを叩いてサプライズ。
いわし雲のゆるさがぐんと際立ちました笑。
アコースティックはまた曲によってとても良いですね。
とてもあたたかい。

そんなこんなでミズカネのキャンペーンが終了し、あとはとうとうライブの時間です。

その前にすくない趣味を楽しみます。
空き時間は専ら水質のことで頭がいっぱいです。
水が綺麗になるってどんなこと。

アクアリウムは奥が深いです。
魚そのものより、いつしかそれをとりまく環境(水質)に心を奪われてしまいました。

目に見えない攻防が私の心をぞくぞくさせます。
すなわち、バクテリアと水質汚染物質の戦いです。

濾過。

水を綺麗にするシステムは何パターンもあり、コストパフォーマンスとその効果とそもそもの飼育目的(なに飼いたいか)とで大きく変わっていきます。
それを観念的じゃなくて(例えばゲームのPSPのように仮想的ではなく)実践的に水に触れ、汚水を処理し、餌を与え、濾過システムをメンテナンスする。

手が臭くなる。

しかーし、

それがまたいいのです笑。

しかも、魚たちはプログラミングされたアルゴリズム的な動きではなく、最高にアナログな予想不可能な行動をとってくれる。
わかりきった世界はここには無いんです。
それを改めて、直接的に教えてくれる。

気がつかないうちにどんどん一元化していく感覚が、これで分散される気がする。

一元化していく感覚。
それは、結果をすぐに原因に結びつけたがる俺たちの習慣だ。

当たり前のように、俺たちはあらゆる出来事には原因があると思っていやがる。
それはある範囲では間違いない。
むしろ、反省をすることによって、その後の行動の精度をあげるにはとても有効な手段である。

しかし、よく考えてみると、原因が結果を作っているとは言えない。

いつだって、原因は結果から推論されて、作られている。
つまり原因は、結果ありきの産物じゃあないか。

ちがうかい?

原因てのは、現時点からの反省によって生み出されるものだ。
そしてそれを生み出すのは人間の思考によってだ。
その思考は、様々な推論を束にして、どうにかそれらしい確実さを得る方向に、原因を作っていく。
そんな原因は、完璧な原因っていえるんだろうか。
数学ならば、完璧に表記できるだろうか?
それも無理な話だ。
なぜならば、数学を使っての計算も、現時点からの反省に過ぎないからだ。
数学はその構造上、本来的な時間を欠如している。
いつだって、1678年だって、2010年だって、1は1だ。
1+1はどの時代だって、2になる。
そういうルールの上に数学は存在している。
時間の感性が数学には存在しない。
だから、今食べているドーナツも、二日前に食べたドーナツも、同じ1という数字に還元できてしまうんだ。
でも大事なのは、今食べているドーナツと、二日前に食べたドーナツが、明らかに違うものであるし、その違いが俺たちの人生を限りなく豊かにしているということなんだ。
1678年に存在したドーナツと2010年に存在するドーナツが同じ1で表されるなんてありえない。
でもそれが現実に、あり得てるんだよ。
数学だとそれが可能になるんだよ。
たとえそれが積極的作用ではなく副作用的な性質としてでも、有害な現実を作っていっているんだよ。

更におかたく考えてみる。

芸術が何故、芸術として人々に必要とされているのか。
それは、この原因と結果の逆転的混乱(つまりは今まで書いてきた通り、あくまで結果的地点が原因を作り出しているという現実が、順序逆に落ちいっているという常識に染まっている)に対しての精神的安定のためではないかと思う。
絵画に関して言うと、この絵画は何を示しているんだろう?
そもそも絵画が絵画として成立するのはなんでなんだろう?

俺はしっかりとした意見を持っているぜ笑。

まず、絵画には、原因と結果が重要ではない。
現実世界に冒された時間のねじれの感覚を越えた地点に絵画はある。

絵画を、現実的に分析してみると、原因は「絵の具、キャンバス、水、筆、画家、湿度、年代、、、、、」とくだらなく羅列できるし、結果はそのまま「睡蓮(モネの絵)」と例えば記せてしまう。
だけれども、本当に重要なのは、そんなもんじゃないと多くの人が知っている。
その中間にこそ示されるものが絵画の本質だ。

モネの睡蓮の良さは、見た人ならばきっと心に刻まれると思う。

そこにある感覚は、原因や結果には収まらない、中間的な感覚の層。
時間を無視した数学的模様ではなく、時間さえ内包した心に訴えかけるなにものか。

芸術を人間が何万年もまえから高く評価してきたのは、やっぱりそこに人間の本来的すがたが投影されているからと思うのです。

そのかんじが、きれいな水質にも限りなく凝縮されていると思う。

すげえ、強引かな笑。

まあなんでも見ようによってはよく見えてくるのさ。

ふわふわした中間層が、俺には水槽の水質にこびりついているように見えてきてしまったのだ。

で、うだうだ芸術論かましたけれど、おれの水槽はそんな高級なモンからはまだまだほど遠い、、、。
まだ全然うまくレイアウトできないし、死んだ魚もたくさんいるし、簡単なやつしか飼えないし、それでも科学的に水槽を作っているけれど、あくまで原因が結果を作り出すとは思っていない27歳です。
だって、魚が動くのに原因なんてないもん。
そこへ、そこへ、そこへ。
それだけが続いていっている。
効率よく、それは反省して大事に通り越せば良い。
だけど、水質は効率を超えて生きている。
全く困ったもんなくらい手に負えねえや。

底面濾過と上部濾過、60センチ水槽にかましてやった。
その結果やいかん。

YES.nisso/hozzy