藍坊主 | Column
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藍坊主

Column

こぼれる水質。

そして、あえて近所の浄水場ではなくちょっと遠出をしてバスに乗り、川崎市潮見台浄水場の周辺をぐるりと回ってみた。
休日なので人の気配は全くなし。
花粉だけが本日も張り切って存在感だしまくり。
そして妙なテンションの上がり方をしてしまう自分がなんだか怖かった。
だってこんな施設見て喜ぶのなんてちょっとオタクじゃん!!
つーかオタクになってんのかな。
マジで中を見学したい。
どうやったら見れんだろう。
そして濾過装置について語ってほしい職員さんよ。

YES.siomidai/hozzy

とうぶん水質。

そして、ドリルでガラス瓶に穴をあけ、自作の水槽濾過器を作ってみた。
始めはペットボトルでつくったんだけど、なんかかっこわるい。
だって「なっちゃん」なんだもの。
飲むのは好きだけど、キャップがうす黄緑なのはいただけないんだもの。
浮力に耐えきれないしね。

つーわけでガラス瓶に穴をあけ、そこにプラスチックの管を差し込み、ゴムチュームを繋ぎ、金魚のぶくぶくを接続し、瓶の中に新素材の濾過材をぶちこみ、出口にネットをかぶせる。
常に水流によって回転することにより、淀みなく全ての濾過材が効率よく機能する(らしい。固定してる状態に対して1000倍くらいよくなるんだって)

噂によると、浄水場でもこれに似た濾過システムが使われたりしているのだそうな。

最終的には、フラスコとかで濾過槽がつくれたら面白いと思うな。

とりあえず一ヶ月くらい様子を見てみよう。

光に照らされた白い玉の回転は、なかなか魚たちをくう存在感を放っている。
ビューティフォー。

YES.siroitama/hozzy

クラゲはつぎさ。

すげえ。
やべえ。

底面濾過と、流動濾過を組み合わせたら結構すげえんじゃねえ?ってさっきハッとなった。
また水槽のことで申し訳ない。
だってパッションがとまんないんだよ。

ペットボトルを使えば簡易的にそれを作れそうだ。
瓶なんか使えばもっとそれらしくなるっぽい。
ガラスに穴をあけるドリルなら持っている。
まあとりあえずペットボトルでやってみよう。

革新的な雰囲気がする水質維持方法にすぐ目がくらんでしまうよ。

流動式の濾過ってのは割と最近の形態らしい。
なんだか情報量が他に比べて極端に少ない。
けど非常に期待が持てる予感がする。
わりと実験段階なのかな。

ちなみに自分が知る限りでは、こんだけの水槽の濾過方式がある。

上部式濾過。
底面式濾過。
投げ込み式濾過。
外掛け式濾過。
外部式濾過。
オーバーフロー。
水中式濾過。
背面式濾過。
最近知った、流動式濾過。

これらの組み合わせが無限の想像を生んじまう。
じっさいすげー頭の体操になってる気がする。

近所の浄水場にマジで見学申し込みたい近頃。
水道水の清浄化の現場がみたい。
歩いていける距離に施設があるんだもの。
ただ見学ってできるのかな。
電話してみなくちゃ解らない。

どんな形で水を綺麗にしてるんだろう。

ごりららっぱぱんつつんでれ。

れんこんの穴は酸素供給のための穴らしい。

YES.ryuudou/hozzy

つぎはクラゲさ。

ふたりでシルバーも終了し(皆さんありがとうございました)、いよいよこぼれるシルバーが近づいて参りました。
新宿と横浜、タクロウが最後参加しカホーンを叩いてサプライズ。
いわし雲のゆるさがぐんと際立ちました笑。
アコースティックはまた曲によってとても良いですね。
とてもあたたかい。

そんなこんなでミズカネのキャンペーンが終了し、あとはとうとうライブの時間です。

その前にすくない趣味を楽しみます。
空き時間は専ら水質のことで頭がいっぱいです。
水が綺麗になるってどんなこと。

アクアリウムは奥が深いです。
魚そのものより、いつしかそれをとりまく環境(水質)に心を奪われてしまいました。

目に見えない攻防が私の心をぞくぞくさせます。
すなわち、バクテリアと水質汚染物質の戦いです。

濾過。

水を綺麗にするシステムは何パターンもあり、コストパフォーマンスとその効果とそもそもの飼育目的(なに飼いたいか)とで大きく変わっていきます。
それを観念的じゃなくて(例えばゲームのPSPのように仮想的ではなく)実践的に水に触れ、汚水を処理し、餌を与え、濾過システムをメンテナンスする。

手が臭くなる。

しかーし、

それがまたいいのです笑。

しかも、魚たちはプログラミングされたアルゴリズム的な動きではなく、最高にアナログな予想不可能な行動をとってくれる。
わかりきった世界はここには無いんです。
それを改めて、直接的に教えてくれる。

気がつかないうちにどんどん一元化していく感覚が、これで分散される気がする。

一元化していく感覚。
それは、結果をすぐに原因に結びつけたがる俺たちの習慣だ。

当たり前のように、俺たちはあらゆる出来事には原因があると思っていやがる。
それはある範囲では間違いない。
むしろ、反省をすることによって、その後の行動の精度をあげるにはとても有効な手段である。

しかし、よく考えてみると、原因が結果を作っているとは言えない。

いつだって、原因は結果から推論されて、作られている。
つまり原因は、結果ありきの産物じゃあないか。

ちがうかい?

原因てのは、現時点からの反省によって生み出されるものだ。
そしてそれを生み出すのは人間の思考によってだ。
その思考は、様々な推論を束にして、どうにかそれらしい確実さを得る方向に、原因を作っていく。
そんな原因は、完璧な原因っていえるんだろうか。
数学ならば、完璧に表記できるだろうか?
それも無理な話だ。
なぜならば、数学を使っての計算も、現時点からの反省に過ぎないからだ。
数学はその構造上、本来的な時間を欠如している。
いつだって、1678年だって、2010年だって、1は1だ。
1+1はどの時代だって、2になる。
そういうルールの上に数学は存在している。
時間の感性が数学には存在しない。
だから、今食べているドーナツも、二日前に食べたドーナツも、同じ1という数字に還元できてしまうんだ。
でも大事なのは、今食べているドーナツと、二日前に食べたドーナツが、明らかに違うものであるし、その違いが俺たちの人生を限りなく豊かにしているということなんだ。
1678年に存在したドーナツと2010年に存在するドーナツが同じ1で表されるなんてありえない。
でもそれが現実に、あり得てるんだよ。
数学だとそれが可能になるんだよ。
たとえそれが積極的作用ではなく副作用的な性質としてでも、有害な現実を作っていっているんだよ。

更におかたく考えてみる。

芸術が何故、芸術として人々に必要とされているのか。
それは、この原因と結果の逆転的混乱(つまりは今まで書いてきた通り、あくまで結果的地点が原因を作り出しているという現実が、順序逆に落ちいっているという常識に染まっている)に対しての精神的安定のためではないかと思う。
絵画に関して言うと、この絵画は何を示しているんだろう?
そもそも絵画が絵画として成立するのはなんでなんだろう?

俺はしっかりとした意見を持っているぜ笑。

まず、絵画には、原因と結果が重要ではない。
現実世界に冒された時間のねじれの感覚を越えた地点に絵画はある。

絵画を、現実的に分析してみると、原因は「絵の具、キャンバス、水、筆、画家、湿度、年代、、、、、」とくだらなく羅列できるし、結果はそのまま「睡蓮(モネの絵)」と例えば記せてしまう。
だけれども、本当に重要なのは、そんなもんじゃないと多くの人が知っている。
その中間にこそ示されるものが絵画の本質だ。

モネの睡蓮の良さは、見た人ならばきっと心に刻まれると思う。

そこにある感覚は、原因や結果には収まらない、中間的な感覚の層。
時間を無視した数学的模様ではなく、時間さえ内包した心に訴えかけるなにものか。

芸術を人間が何万年もまえから高く評価してきたのは、やっぱりそこに人間の本来的すがたが投影されているからと思うのです。

そのかんじが、きれいな水質にも限りなく凝縮されていると思う。

すげえ、強引かな笑。

まあなんでも見ようによってはよく見えてくるのさ。

ふわふわした中間層が、俺には水槽の水質にこびりついているように見えてきてしまったのだ。

で、うだうだ芸術論かましたけれど、おれの水槽はそんな高級なモンからはまだまだほど遠い、、、。
まだ全然うまくレイアウトできないし、死んだ魚もたくさんいるし、簡単なやつしか飼えないし、それでも科学的に水槽を作っているけれど、あくまで原因が結果を作り出すとは思っていない27歳です。
だって、魚が動くのに原因なんてないもん。
そこへ、そこへ、そこへ。
それだけが続いていっている。
効率よく、それは反省して大事に通り越せば良い。
だけど、水質は効率を超えて生きている。
全く困ったもんなくらい手に負えねえや。

底面濾過と上部濾過、60センチ水槽にかましてやった。
その結果やいかん。

YES.nisso/hozzy

カレーのパロール。

神奈川に戻りました。
金沢、名古屋、浜松、大阪、神戸。
色んな所でミズカネの話ができて嬉しかったです。

いやー、インストアも楽しかった。
仙台も楽しかったけど、昨日の関西シルバーズもあつかったなあ。
汗がたらたら垂れてたもん。
なんかレコード店でライブやるのってやっぱ不思議な感じがする笑。
CD買う場所だもんねほんとは。
すげーなかなかないことで、今更びっくり。
路上の弾き語りともまた違うしな。
なにはともあれ、
みなさん楽しい時間ありがとうございました!
またライブとかで会えたらいいねえ。

そしてたくさんのスタッフさんたちの協力のもと実現できました。
感謝いたします!

そして、なんかカレーくいてえ夜。

YES.yorunotouzokudan/hozzy

ミズカネ。

発売日迎えました。
無事たどり着けてよかった。

ここまで長かったなぁ。

ほんとに今回は今までで一番集中したッス。
「フォレストーン」より苦労はしなかったけど(いろんな意味で笑)、藍坊主の良さとか、自由さとか、ゆるさとか、創造力とか、日常な感じとか、バンド感とか、メッセージとか、とにかくこれで勿論終わりな訳じゃないけど、とても藍坊主がわかりやすく完結したと思う個人的に。
過不足無く、背伸びもせず出し惜しみもせず示せてるんじゃないかなと思うのです。
実際そうとう面白い曲たち、いい曲たちばっかやーーん。

よく雑誌とかで「今の自分らのすべてを注ぎ込みました、今の最大限の自分たちらしさが詰め込まれてます!」ってミュージシャンが言ってる記事があるけど、それ俺も何度も言ったことがあるけど笑、それって結局あくまでバンドの問題であって聴いてくれる人には関係のないことなんですよね。
聴いてくれる人はそんなもんより、曲がただどうか、ってことがはっきり言って大事じゃねえ?
作った人間のパーソナリティなんて、その人の曲がこっち側に響かなきゃ知りたいとも思わないでしょ。
誰だって、毎日必死に苦労しながら瞬間にぶつかってんだよ。
俺もいち音楽リスナーですからそう思ったの改めて。

でも、

はっきりいってミズカネはもうそういう「今」の最高状態とかそんなもんじゃすまねえ笑!

俺個人としては、藍坊主として、今まで積み重ねてきた時間全てとして、一つのバンドとして音楽を示せてると思ってるんですミズカネちゃんは。
これがつまらなかったら、要はしょうがない、俺の感性がつまらないのだ。
って、もう思えちゃって割り切れるくらいの好きなもの、だいじなもの、その感覚、ロジック、言葉、美意識、偽り無くぶっつけられたと思うのよ。

売れたらいいけど笑、色んな人にほんと聴いてほしいけど、

まあそれはさておいて(それは願いだけではどうにもならないことなんだ)、

おれにとってこのアルバムは(もちろんメンバーもそういうに決まってる。スタッフも!)ぶっちぎりうまく表現が達成できた作品です。
今まで自分が作ってきた全てのものの中で一番(音楽以外でも)!
ようやくここのコラムの自由さに音が追いつけた感じです笑。
ここ数年めんどくせえ何十冊もの哲学本を読んだことも、ようやく柔らかくなってミズカネにフランクに収束できたと思う。
もうなんにも難しくないわい。

ほんと何回聴いても飽きねえ。


もうここから先は、相性だと思っている。
これを読んでいてくれているあなたとわたしたちの相性の問題。

これでだめならしょうがねえ。

実際、自信は超あるけどね笑。

俺たちはつくった。

さあ、あなたに届いたらうれしいな。

YES.20100217/hozzy

春の匂い。

ああ、大変だ。
またノルウェイの森が読みたくなってきてしまった。
なんでなんだろう。
春になると、もしくは旅に出るといつも読みたくなってしまう。
もう読まないって、もう読んだってしょうがないって自分で思ってたのに。

ワタナベ君の客観的具合と、直子の純粋であるが故のモンスター具合に、しかも透明感マックスで描かれていてそれが始めなんて綺麗なんだろうって思って「君はなんて純粋で美しいんだ」って思ってたら、やはり彼女は深く根を張ったモンスターだったじゃん的具合に(俺には彼女がどんどんやはり遠くなっていく、一回目、二回、三回目、、、読むたびに第一印象から離れてく)ミドリのディオニュソス的な性質、なのに一番まともな人間性を備えているあたりに、マシンのようなナガサワさんの「それはシステムの違いであるからだ」の発言に、ハツミさんの服装のきらめきに、レイコさんの最後のワタナベ君との性交渉との謎に、突撃隊の安心感に、油絵を書いていたイケメンの彼に、レコード屋の店長に、アミ寮のテニスコートの弾力をはかるようにボールを打つ人たちに、レイコさんを破壊した巨乳の美人中学生に、キズキに、新宿の広場で朝までワタナベ君と酒を飲んで片割れが彼と寝たあとの朝の倦怠に、屋上から放った蛍に、吉祥寺の大家に、ワタナベ君が殴り合った上級生に、学生運動をしていた偽物の男たちに、ドイツの空港に着く前にワタナベ君に話かけたフライトアテンダントに、突撃隊とデートした女の子に、神戸の彼女に、ミドリの学校の焼却炉に、小林書店に、ヘルマンヘッセに、水仙の花に、京都の山奥の井戸に、寒さに逃げ出したヒッピーたちに、ベランダから眺めた火事に、ミドリの父親に、キュウリに、ロバのウンコに、あげたらきりがないお話に。

ワタナベ君は、何者だったんだろう。
ギリシャ悲劇を専攻していた。
エウリピデス、ソフォクレス、アイスキュロス。
名前しかきいたことがない。
ワタナベ君も、特に興味があるわけではなかった。
だってどエロだもん彼ほんとは、性欲がほとばしってるもん。
感情を控えめにしてる分、言わないところでぶちやぶってくるもん。
面倒くさい割にはすぐ寝てしまうもん女の子と。

なんて青春。

これで、自分が嫌になるなんて、なんて贅沢な輩でしょう。

ワタナベ君は決してかっこ良くはないらしいのに、流れでよく女の子と寝てしまうんです。
それも実にうまく彼寄りで文章構成されているため綺麗になってるんです。
駄目なのに、駄目ってこっちにも伝わってくるのに、なんか空気感がさわやか、もしくはセンチメンタルなんだよ。
現実なめてるよ。
でもこれが不思議と腹が立たないんだよ。
なんかまあいっかってなっちゃうんだよ。
時代の空気感が文章にこびりついてんのかな。
今じゃただのプレイボーイだよ。
しかもセンチメンタルジャーニーな。

そんなワタナベ君、映画になるってことで松山ケンイチが演じるってなんかどんななのか楽しみです。
俺的には、加瀬亮とか年齢関係なかったら、ワタナベ君ぽかったんだけどな。
直子が菊池凛子ってありえなさそうで、でもなんか最近納得してしまう。
あの菊池さんの悪魔的な感じが、直子の闇を解放してくれるんじゃないかって思っちゃう。
映画いつ公開なんだろう。
あせらずじっくりかましてほしいな。

なんたっていくら突っ込んでも、サイコウの小説はずっとサイコウなままですから。
俺はノルウェイの森がやっぱサイコウすぎるんだわ。
文字のフォントも丸くていい。
これ重要だと思う。

そしてうちのドラマーもワタナベです。
ご安心ください。
彼はプレイボーイではありません笑。

YES.nagasawasan/hozzy