藍坊主 | Column
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藍坊主

Column

ゆげあえぐ。

やかんが焦げる匂いって独特。
香ばしい。

何の匂いなんでしょう。

鉄?

周りに何となく付いてる料理の跳ねた油?


コンロの妖精でしょう。

彼らが焼くホットケーキの匂いでしょう。

なんて乙女チックな発想でしょう。

決して食欲をそそる匂いじゃないんだけど、やけに郷愁を催す懐かしい香ばしさ。

一体どこで覚えた。

そして、
一口のコーヒーは、
そのすべての情動を消しさり、
滝壺、
記憶のたこつぼ、
大王イカの餌食に、
木っ端みじんの一級船舶に、
タイタニックのごとき夢の後に、
つわものどもが、
芭蕉、
奥の、

消えかかる細い筋。

郷愁は太くないほど良いらしい。

YES.squier/hozzy

まるでデジャヴのように.

前のコラムでちょろっと書いた「氷に似た感応」がとんでもない姿に変わってきた。

She is a モンスター。

自分で言うのもなんだが、わけがわかんねー。

始めに作ったのが「氷に似た感応」

現在「氷に似た感応9」にまで成長した。

氷に似た感応  1:09
氷に似た感応2 1:41
氷に似た感応3 1:41
氷に似た感応4 1:55
氷に似た感応5 1:55
氷に似た感応6 1:57
氷に似た感応7 1:52
氷に似た感応8 3:39
氷に似た感応9 4:42
   
どんどん長くなってる。
もうそろそろレベル10に突入しそうでござる。

曲がどんどんアイディアを吸い込んで、不細工な、バランスの悪い、くさい、しつこい、毒々しい姿に膨れあがってく。

だけど、たまに輝く瞬間がある。


やめられない、とまらない。


ハイロウズの傑作「バームクーヘン」を聴きながら、夜を明かす。

YES.changing man/hozzy

妙、絶す。

ユウイチに焼いてもらったDVDを見た。
去年の暮れあたりにもらったから、随分たってる。

いやー、ためた甲斐があった。
思わず涙が出てしまった。

テレビ番組も捨てたもんじゃないね。

どこの局の番組だったんだろう。


印象派絵画と日本の浮世絵のつながり。

モネやセザンヌやゴッホや、と、安藤広重、葛飾北斎らの関係。

日本が西洋美術に与えた衝撃的影響。

ぼんやりとしか知らなかった絵画の歴史の一部分に、強烈に光が走った。

ユウイチありがとう。


藍坊主の藍の色。

「ヒロシゲブルー」

東海道五十三次の描き手、安藤広重の色。

ほんとにきれいな色なのね。

深くて、なのにしつこくない。

さわやかなのに、濃い。


その色や構図に影響されていった西洋近代絵画の巨匠たち。

「印象派」とかでくくられたりするけど、どの画家も全然画風が違う。

個人的にはだんとつでモネの絵が好き。


ドビュッシーの曲も、この番組中ずっと流れたりなんだりしたりして、泣かされる準備は常に整っていた。

ドビュッシーも彼らと同じ印象派って呼ばれてる。

凄え時代。

それに影響を与えた昔の日本人はもっとすげーな。


ヒロシゲの絵と、向こうの油絵をテレビ越しに見たら、ヒロシゲの方がずっと美しく見えた。

手法が違うから比べちゃいけないのかもしれないけど、とんでもなく鮮やかだった。

素人目にね。


セザンヌの絵の展示コマーシャル。
最近よくやってる。

時間あったらDVDでの感動を引きづりながら、引っ張りながら、振り回しながら、行ってみてえな。


モネの睡蓮の巨大版、いつか本物を見てみたい。


つーか、藍坊主って名前。
凄い、イカしてるなぁ笑。

ってほんとに思った。


自分の人生とのリンクの仕方が半端じゃないッス。


YES.hiroshigeblue/hozzy

ギョギョギョー。

最近、自分の作業部屋専門にちょくちょく曲を作る。

とりあえず自分のテンションがあがるためだけのバックグラウンドミュージックを作る。

たいていはインスト。

インスト→インストゥルメンタル。楽器だけの音楽。

つーか歌メロが着こうもんなら速攻藍坊主用に練るからね。

だから出来上がるのは、もくもくくすぶっちゃってる残骸ばかり。

今日もしょうがないのができた。

「氷に似た感応」

水に似た感情という曲のパロディー。

一回超エレクトロにして、戻してちょっとハードロックにして、そしたら何故かうっすらLUNASEA風になった。

なぜだ。

ほとんど原型がなくなった笑。

おかげでなんだか新しい感じに出会えました。


小学生ぶりぐらいに、観賞用の魚の世話をし始めました。

餌を一日二回。

忘れないようにあげすぎないように。

にんにくを入れていた瓶がかつてないほど華やかに!

ベタくん。

とてもきれいな色をしている。

YES.sakanakun/hozzy

もえろよもえろ。

とても当たり前のことなんだけど、日が暮れるとどっかで日が昇るって、なんかすげえなあ、と思ってしもた。

日が暮れる、どこだかわからないけど、どこかでは同時に日が昇リ始めてる。

太陽には休みがなかったんだって改めて思い知った。
改めてって、俺は馬鹿か笑。

なんか毎日を同じ場所で過ごしているから、朝が来たら起きて夜が更けたら眠てってやってるけど、そうなんだよ、太陽はずっと輝いてるんだよ。

すげーなんかシンプルなことをたくさん忘れてしまっている。

夕日は赤く、赤は赤い。

赤い赤はどんな色。

1たす1で、俺は何を足しているんだ。

りんごとみかんは、りんごとみかんなのに、1たす1で足せてしまう。

なにを、たしてる。

味も形もちがう、色も匂いもちがうのに。


みかんとみかんも、この世に同じみかんは一つもないのに、1たす1で足せてしまう。

なにをたしてる。

静岡産も愛媛産も、1、2、3、4、

とりも魚も、1、2、3、4、

ぼくもあなたも、1、2、3、4、

出席番号17、ササキ君。

「僕は数字には還元できない、魂です。出席応答を拒否します!」

「よろしい。では成績1ね」

「1ってなんですか?」

「黙らっしゃい」


黙ります。

シンプルに。


複雑さの足場を固めるシンプルさ、単純なものって、わかりやすければわかりやすいほど、実はおそろしく複雑というか、意味不明じゃねーか。
というか、ほとんど意味分からん。
「なぜ?」
って問いでもう分解できなくなってくる。

すじこ、と、いくら、なぜ分ける。

昼の月と夜の月、なぜ同じ「月」と呼ぶ。

シン、プルイ、ズミステ、リアス。


みんな太陽の休みなしな生き様に、畏怖さえ抱いてしまったりする。
太陽を人が崇拝するのは、恐ろしいほどのシンプルさにあるのじゃないか。

太陽さんよ、
あなたを死ぬまで理解できない。

YES.Ra/hozzy

ノーモアビア。

遅くなってすいません。
もう三が日過ぎてしまいましたが、明けましておめでとうございます。
去年は31日に恒例のライブも無く、久々に地元の参拝所に初詣に行ってきました。
いつもは渋谷あたりの居酒屋で呑んだくれてぐだぐだと新年を迎えるんですが、今年はとても健全に年越しできました。
おみくじも多分人生で二回目くらいの大吉が出て笑、普通に嬉しかったです笑。
そしてあっと言う間にもう4日。今年も目まぐるしく時間が駆けていきそうな予感がします。
そんな時間に引きずられながらアンテナ引っ張って今年も頑張って行きますので、今年もなにとぞよろしくお願いします。

YES.riot!/hozzy

フロムダンボール。

セロニアスモンクのベロシティー全開のピアノプレイを聴きながら、ホッピー飲みつついい時間です。もう三時時すぎてる。

溜まったメモの整理をしていたら、まいりました。
6、7割はわけがわからん。
解読不能。

残念ながらメモになってないのね。

思いついたアイディアなのかその時感じた感覚なのか、あとで役に立てられるように志的にはしっかりと過去の俺はメモっているんですが、時間がたった今、何のことなのかわからん。

大変難しい。


・somethingはredである。
・スプーンで塩を盛ることはできるが、塩でスプーンを盛ることはできない 始めにある道具がスプーンなの。
・14.1×0.63=8.853
・oshokuji onomimono okashi 存在する意味がわからないから美しい。
・キネステーゼは世界とかぶる。
・雨が降っている。Pで~Pのことを考えることは、Pという命題において始めから正反対のことを考えるということだから本当は雨が降っているけれど、Pに「晴れている」という命題を書く。
そして事実、晴れていた場合、この自分にとっての偽の表明は、事実に対して真であるから偽であっても真である。四・〇六三の意志の問題、、、。

……。

んー…。

ってな感じで俺にも意味が分かりません。

奇妙です。
自分じゃない人が自分の字で真剣にメモってるみたい。
何か笑える。

そう、ホッピーうまいです。
焼酎甲類とホッピー。
最近ビールよりもこっちのが好きです。

モンクがダイナを弾いている。
モンクのジャズはある意味ブルーハーツ的で好きです。
イメージ的に指がすげー太そう。

新木場の暮れライブありがとうございました。
いい締めになったと思います。
コースト初めてだったけど、またやりたくなるようなハコだった。
酒がうまかったっす。
ありがとうございました。

YES.monk/hozzy

ソーダ割りが強烈に呑みたくなる本。

どうも最近目の調子がよくない。
景色がぐるぐるしたりする。
こないだ車を運転していたら、車に酔った。
帰ってゲロをした。
というわけで、ブルーベリーエキスを飲んでます。
目にいいらしいいからね。
効けばいいけど。
為さねば成らぬ、何事も。
飲まねば効かぬ。
効かねば飲まぬ。

そんな状態なもので、パソコンも何日か開けなかった。酔うから笑。

不思議な物で、外の景色や、部屋の白い壁なんかをみている分には何も問題ないんだけども、文字、テレビ、なんかを見るともう視点が合わない。
目力の何かが衰えている(もともといつも半目なんで目力なんてないけど笑)つーか視力がなー、低くなった。

レーシックだっけ?あれにちょっと挑戦してみたくなってる気持ちです。
けど、なんか実験中みたいな期間なんでしょ?今。
それがちょっと怖い。

視力は、心のありように大きく影響すると思う、哲学的に、現実的に、精神的に。
というか、普通に世界に幕が何重にも掛かってるような状態だもんな。目やにが毎日張り付いているみたいだ。
かといって、眼鏡似合わねーし笑、コンタクトはレーシックよりなんか怖いし、あの構造がなんか。
眼球を触っている友達を見て鳥肌たったよ。すげーよあんた。

ブルーベリー先生に、期待。

そんな中、ちょっと酔いながら久しぶりに村上春樹氏の「国境の南、太陽の西」を読んだら、やっぱ空気感がとても良いっすね。
元気になる。けど、春樹の本の主人公は毎回なんだか、いらっとくる人物が多い笑。
嫌な人間、というよりとんでもないことよくしでかしてるくせに、なんかいつも妙に冷静っぽいのが、なんかなー笑。
俺は多分彼らとは友達になれないだろう笑。
彼らも俺に「別にどちらでもいいのだが、僕も特に君と友達になりたいとは思わない。それは誰が悪いということではなく、ただ、システムの違いがそこにあるだけなのだ」
とか言って去っていきそう笑。
まあそれも含めて何だか良く分からないけど、不思議な心地よさが春樹さんの本にはあって、とても元気になる。
そしてやたらとおなかがすいて、ウイスキーが飲みたくなる(食べ物の描写がほんと奇跡的だ)

さっと件の本を読み終えて、「ダンスダンスダンス」を今読みながら曲書いてます。

小説はいいね。漫画もいいけど、小説は言葉がたくさん出てくる分、言葉の心の回路がよく刺激されて言葉がたくさん出てくるようになる。
哲学書は全くダメ。言葉が詰まる。心は不細工なほどにふくれていくのに、回路の線にふたがささる。
それでも最高に楽しいんだけど、自分一人だけが楽しくてもやっぱ寂しい。
ベルクソン。最高の哲学者だ。

というわけで、バガボンドの最新刊もまだ読んでいなく、気になって気になって仕方が無い現在、曲作りとブルーベリーエキスと14日の新木場のことで頭がいっぱいいっぱいの最近です。

14日はかなり楽しい予感がびりびりします。よろしくー。

おやすみなさい。

YES.yuki/hozzy

1379面体。

知ると言うのは恐ろしいことだ。
人生が多面体だとすると、知るたびにまたそこに面が増える。
知る、増える、知る、増える、知る、切る、増える、知る、切る、面が増える。
そして、その一面がしっかりと映るのは、決められた角度からでしかない。

始めは球だったのか。
全体が一面だ。地続きに、初点から初点まで、どこを通っても区切られることはない。
故に、広すぎて、一度に全体をつかむ力は無に等しい。
だけれど、凄いのは、つかむ以前の、感性を映せる範囲。
区切りが無いから、全体が感性だ。
理屈も、言葉も無いから、映ったものがすべてだ。
裏も表も、右も左もない。
全感覚が全宇宙。
天然の大芸術家。

そこにカットをいれる初めての出来事は一体なんなのか。
球が転がらず、コロンブスの卵みたいに、直立不動にこの世界にたてる、その一撃はなんなのか。
そして、その初めての一面に映るものは?

裏も表も無い世界から、飛び出す第一歩が人間としての始まりかもしれない。
踏み出さなければ、もしかしたら無垢な、純粋な、非人間的な完璧なままでいられたかもしれない。

けれど、人間は踏み出すことを、なぜだか、選ぶ。
選ぶようにできている。
明るく言えば「生をつかみ」、暗く言えば「崩壊をつかむ」

自らの意志でもなく、球は始まりを選び、自分をカットしながら、創造的に自分を面に映していく。
知ることで、削られたところが、肌寒い。
少なくとも、俺はぴゅーぴゅーする。
面が増えれば増えるほど、一つの面の幅は、狭く狭くなる。
やがて感性も、場所によっては、芥子粒ほどの輝きしか映さなくなるだろう。
ぴゅーぴゅるるー、だ。

ところが、どっこい、面と面は、合わすことができる。
お互いを、少なくとも球よりは歪曲すること無く、ずっと安定して映すことができる。

寒いところが、それで埋まったりする。
埋まらなかったら、それはそれで、「なぜなんだろう?」と、またカットすることもできるわけだ。
希望がある。
少なくとも、一筋の線が、光が、か細くても、可能性を紡ぎ続けてくれる。
それも、その可能性は生きてる限り無条件に、誰にも無料で配られている。

球は美しいけれど、そのままじゃ、抱き合うことも、映し合うこともできない。

ただ莫大な量の感性を、その表面に、一方的に、映し続けるしかできないんだ。だから初めて、そこに切り込みを入れるのが母性なんだろうな。


知るというのは寒くなるし堅くなるし恐ろしいことであるけれども、間違いなく、バランスの取り方だけは教えてくれる。

感性が、枯れてしまいそうになるのなら、それこそ枯れ葉に、なるべく広く残った面を向ければいい。
コネクト!!
なるべく、長く、じっくりと。

最近気がついたのだが、世界に散らばるあらゆる物は、目を凝らしてまたよーく見てみると、素晴らしく新鮮で、心がわくわくしてくる。
鮮度が違うのだ。チラ見と、じっと見では、物の鮮度が違う。
川をぼーっと見るのと、じっーっと観察するのでは、世界の活発になる感じが全然違う。
コンクリートの壁でさえ、ぐっと睨んでいると、ぼーっと眺める金閣寺なんかより、ずっと金色の生命力のようなものが感じられる。

忙しかったり、気疲れしたり、にっちもさっちも行かなくなったりした時に、ちょっとおすすめです。
狭くなった面を最大限に生かすには、その場所を大きくはできないけれど、拡大することはできる、と思えるようになることが重要かもと、最近思っている。
自分からその面に近づくことができるようになったら、どこまでも小さい種みたいな輝きも、相対的に、太陽のような大きさ、暖かさに感じられるようになるんじゃないかと、ちょっと無謀な考えの中、じっと見を継続中。

ちなみに、みなさんから頂いたメールはゆっくりとですが、確実に読んでいます。
予想以上にたくさんのメッセージを光栄ながら頂きましたので、読むのに相当時間がかかりそうです。
一括で申し訳ないのですが、とりあえず、ここでお礼を言わせて下さい。
ありがとうございます!

YES.ganmi/hozzy

頭が天空だ

ありがとうございます。

生きていて良かった。

音楽やっててよかった。

メンバー、スタッフさん、逢えてよかった。

母さん、本当にありがとう。

涙に意味があるとしたら今だ。

藤森の新曲を聴きながら、涙が、滝だ、

俺はメンバーに会えて、本当によかった

藍坊主は最高だよ。

ありがとううさん。

いい音楽を造んなきゃ