藍坊主 | Column
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藍坊主

Column

煙突と塔の間にある『空』は?

以前ある雑誌のライターさんが言っていた印象的な話を今コラムにあげている写真見て思い出しました。

「こないだ娘がやかんの先端を指差して言ったんですよ。
『おとうさん、この湯気が消えるところはなんていうの?』
って。僕このとき面倒くさくて
『湯気は湯気、湯気が消えるところは湯気が消えるところ!』って当たり前のように言ったんですけど、よくよく考えると面白いですよねー。」

このとき俺は非常に感動しました。「湯気が消えるところ」ってなんて呼べばいいんでしょう?この想像だけでビール三本はいけますね。ほくほくとして消える湯気の境目に湯気と同じだけの意味を見いだせる娘さんにさらにワンカップで2回乾杯。
つーか、このことについて俺もよく考えることがありこの話にえらく共感してしまいました。例えば、『森に降り注いだ後の雨のにおい』に一個のれっきとした名前があってもいいんじゃないのか(もちろん樹々や土の違いによって匂いの質も違ってくるだろうけれども、それを越えた一個の概念として)、むしろ『森に降り注いだ後の雨のにおい』なんてながったらしい表現はいらないんじゃないか(詩的美しさがあるとすればそれは別として)、と何に向かってか誰に向かってかわからんけど提案したくなってしまう。


で、そんなこと考えていると、どんどん自分で勝手に言葉を作って、自分にしか通用しないような言葉ができあがったり(藍坊主ではそれでも緩和しているつもりです)、ぐちゃぐちゃの線ばっかりの夢をみてしまったりしてしまう(非常に恐かった)ようです。しかしそれでもこの世界を見ているのは俺だから(俺なくしては俺が感じる世界はない≒世界は無い)、俺は世界にちゃんと対面しなきゃならんわけです。そしてこの言葉遊びは心のうちにしまっておけば何の問題もないわけで、そんなこんなで生活の中で思いついたときには、いろんなシチュエーションに密かにネーミングを与えています笑。→煙突と塔の間にある「空」は何と呼んで然るべきか(もちろん私を中心とした世界において)。

うううい、北海道の空気はなんと呼ぼう。雪に埋もれたい私は明日札幌へ行ってきます。

YES.ponzu/hozzy

アーヴェー。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、最高だぜ。瞬間、二歩後ろに下がれたような気がした。クソみてえな仮象1(ピーさん。もしくはたまねぎでもいい)をじっくり否定してやった。同時に仮象0(反ピーさん。もしくはたまねぎの反対のやつでもいい『たまねぎの反対』がわかる人がいたら是非教えてください。知りたい)も、だ。貴様らのせいで俺は幻であるべき不安をむしゃむしゃ食べるはめになったんだ。ってワンカップ大関の瓶の底に向かって言ってやった。おーいおーい。しかしお前さんうめえよこの野郎。

俺は素敵なものに対して「くっそ」をよくつけますが(例→たんたん麺食って「くっそうめえ」)、ファックなことに対してももちろん「くそ」をつけます。俺は『水に似た感情』という曲で~消えてしまいたい~と歌っていますが何故あの時あの歌詞が浮かんできたのかよくわかった。虚ろな中でそれよりさらに虚ろなことに目を凝らして僕らは生きているんだもの。消えてしまいたいと思うのも無理ありません。
ああどこいこう。
リトアニアかも。

むしろ戻りたい。

YES.flash/hozzy

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あさだ。
通勤ラッシュだ。
おはようございます。

YES.coke/hozzy

あたたかいとくしゃみ。

銀のポールとポールを繋ぐ鈍い色した鎖のはしっこ。そこを錆びさせる雨と孤独。緑色の帽子を被った掃除のおじさんは落ち葉と牛乳パックとタバコの吸い殻は拾うけど鎖の落とす影は拾わない。痩せたぶち猫がポールの鳥居をひゅるんとぬける。「なあずいぶん雲っていたから、また曇ってしまった」からすがかあ、って図書館の角を飛ぶ。「なあ僕らが生きているというのなら、あの鎖は死んでいるのかい。そしてまた死ぬのかい」「バカだな、あれは生きていないだけだ」「なら生きてもなくて死んでもいないあれに僕は憧れる。壊れるだけなんだろう」
あかい木の実がまた枝から落ちて、駐車場の白線と6の文字の間に転がった。
空からもひとつふったつぽっつんぽつん。
からからに萎びたキャベツの破片も回収されなかったウイスキーの角瓶も鎖のむこうで同じように打たれている。
「何が違うってんだ」
「全部同じじゃない、ただそれだけさ」
空がごろごろし始めたので、ぼくらは階段をのぼった。

YES.mocha/hozzy

3-3=1、形はあるのにあってはいけないのはなぜか。

近頃もっぱら朝から晩まで時間がある限りもしくは俺の集中力が萎れるまで単語と文章とトピックスとを行ったり来たり、なんのためかわからんけど誘われるまま本読んでメモ帳にその構成と著者の意図する真意の俺なりのおよそな解釈を図と記号と文字で筆記しています(なんだかめんどくせーな、すいません)。視力落ちた絶対。ふと明け方に目が覚めると昨日読んだ本の内容を反芻、(つーかなんで目が覚めた時って昨日わからなかったことが突然理解できたような気になるんだろか)気づくと空中に指でわけわからん図を書いてたりする。そしてなんだかよくわからないまま寝る。朝起きると背中が痛い。

そんなこんなでやっと上巻を読み終えたこの本。買ってからなんだかんだ三ヶ月くらいたってるかも笑。あと中と下が残ってるなんてほんと作者を殴りたくなるね。

何かを理解するために発する熱は、疲れさせられるけど恥ずかしながらもやっぱ健全な力だと俺も思います。学校がその熱を発することができる場所だったら俺もこんなにひねずにすんだかもしれないのになあって今更ながら思う。まぁきっとそうしたら音楽やってなかったろうな。そういう意味ではありがたいエネルギー源ではあります学問の集い場。

とりあえず目の前のこれを理解できなければどこにも進めない気がするので、気合い入れて足踏みしたいとおもいます。

YES.hakusturu/hozzy

FinePix F610。

最近よく携帯してるカメラ。型が古くてでかいけどデジカメにしてはかなり良い色だして頑張ってると思われるF610さん。もう2005年半ばには出荷も終了しているらしい。後輩はどんどんスリムにコンパクトに。もう彼女が入る大きさのケースさえほとんど売ってない。だから余計にたまたま今手元にあるのが嬉しい。よくぞ参りました。先日の北海道でもチッチッと撮ってきました(パシャッやカシャッではなく610はチッチッです)。いい天気の日に家に置き忘れたまま外出した時は近頃本気で後悔します。電車の中でも落ち着かない。

北海道あいかわらず最高でした。ありがとうございました。また3月に!

YES.a priori

エチルくんメチルさん。

明けましておめでとうございます。イノシシ年ですよ。イノシシといえば藤森氏。今年は彼年男です。今年も俺らをぐいぐい引っ張っていって欲しいです。

去年できなかったたくさんのこと。一昨年の終わりに立てた去年の目標はほとんど達成できなかった。やはりうまくいかないものです。心の余裕と行動力。酒の力は借りないこと。
コーヒーサイフォンを買ったので理科の実験のようにコーヒーをいれてます。アルコールランプとフラスコで湯を沸かしあからさまな科学的さで豆を蒸す。単純な構造だけどコーヒーがコポコポとフラスコに降りてくる時何度でもにやけてしまいます(加熱を終えると上のビーカーもどきからコーヒーがこされてフラスコに降ってくるんです。気圧のせい?くわしくはわかりません笑)。水の電気分解とか今あえてやってみたい。懐かしい。
4日にダリ展行ってきました。展示がラストの日ということでもの凄い長蛇の列が上野公園に展示されてました。2時間待ち。びびりましたほんと。一緒に見に行ったサウスブロウのはじめと友人のマイケルとで暇つぶしに記憶しりとりをして時間つぶし。一人じゃなくてよかった。ダリの絵はとても綺麗でした。発想をぴっしり左脳的にまとめたような神経質な絵。個人的に「愛情を表す2切れのパン」という絵に目がうるみました。構図バランスとタイトルで殺された。やっぱり画集だけ眺めているのはもったいない。きっと画集でこの絵をみかけても何にも心に引っ掛からずに次のページをめくっていたと思います。本物を見れるときはできるだけ本物を見よう。ダリおじさんありがとう。
さあではまた曲作りに戻りたいと思います。今年もよろしくお願いします。

YES.hario/hozzy

シネリキヨ。

沖縄に行ってきました。久高島という本島から少し離れた小島のなにやら神秘的な雰囲気に誘われてまたまた衝動旅行のはじまりはじまり。で、なんで久高島を選んだかと言うと、どうやらここのカベール岬と言うところに沖縄を創った神様が始めて降り立ったという伝説があるらしいのです。こんなん大好きな自称探検家の私にはたまらん魅力です。ほかにも男子禁制の聖地”クボーウタキ”やら特別な意味のある井戸のような場所“ヤグルガー”やら俺の心を刺激する響きの言葉がこの島にはころころと転がっていて前々から行けるチャンスをうかがっていました。そしてきた。いけてよかった笑。久高島研究の本も途中で買い勉強しながら島を回ろうと思ったけど結局読む暇ないくらいゆるやかな時間の中に沈んでいました。夜に見た引き潮になった海岸の月光がとてもとても神がかっていた。別の星に立っているような感覚でした。北海道もすごかったけど沖縄もすごい。日本って本当に面白い国だと改めて思いました。そしてアイヌと沖縄がなんだか繋がっているような気がしてならない今日この頃。諸説あるようですが俺はぱっとそう感じました。日本にある文化にもっと触れていきたい。久高島のおじさんに教えてもらった沖縄民謡、古典、ギターで弾く三線の音。ピースフルで暖かかった。そしてカベール岬で歌ったLumoが見えない何かにあの時少しだけ届いたと俺は信じています笑。沖縄今度はライブでいきてー。

YES.amamikiyo/hozzy

ミスターシマ。

ツアー全箇所終了してやっと一安心したのもつかの間、4日にブラフマンのライブを見てしまったからさあ大変。タクロウもブログで書いていたけど、なんとも形容しがたい圧倒的な何かにやっつけられていてもたってもいられなくなってしまいました。そんなだから昨日友人の嶋くん(カメラの仕事してる人)と近所のスタジオに入り、ドラムをぶったたいている自分の姿をなぜだか無意味に撮らせ続けていた笑。アホだ。彼の休日が有意義だったのかどうか俺にはわからないけれど夕日はとてもきれいでした。つーかまだまだテンション下がらないのでこれから南の方に行ってきます。こないだ北海道の雪山で歌ったので次は南へ。

そして申し遅れましたがヤアヤアヤアツアーどうもありがとうございました。おかげさまで過去一番意味のあるツアーだったかもしれません。またこれからも精進していきますのでよろしくお願いします。ではでは。

YES.kaminnchu/hozzy

北海道四日間のイメージ。

「ライオネルさん、ここはどこですか?」
「はじっこだ。」
「このさきには何があるんですか?」
「はじっこのはじっこだ。」
「ふーん。じゃあ僕は、はじっこのはじっこのはじっこに行きたいです。」
「真ん中もわからないのにか。」
「真ん中がわからないからです。」

そしてししゃもが雪山で海風に飛ばされながら風車を通り抜けて湯気のなかに消えていった。ムックリが響くころ塩の花が太陽に輝いて仙人たちは笑って雨を降らせました。

yes.yumechika!/hozzy