『魚と猫とゴムとネコ』の3。

ポチの毎日は、平和だ。首輪がない野良猫だが、不思議に誰からも愛されている。
特にこの界隈の子供達の間では人気があって、
「ポチ。ポチ。こっちにおいで。おいで。かわいいポチコロ。」と言ってみんながかわいがる。
ポチは人間が大好きだ。自分は猫だと勿論分かっているし、彼らとは違う生き物だということもちゃんと分かっている。その上で人間のことが、自分の仲間の猫たちよりもずっと好なのだ。そしてポチはとても頭がいい。子供達の大人が冗談で、
「ガッツ石松なんかよりもずっと頭がいいんじゃないかしらねぇ、ポチはねぇ。」、なんて笑って冗談を言うくらい賢い。そして尻尾が真っ白で、片目だけが緑色の眼をしている。不思議な猫なのだ。

そんなポチに、今日予想外のことが起きた。
信じられないことに大好きな人間に苛められたのだ。
ポチはショックで、今も河原でぐったりしている。
それは髪の長い女の子だった。
彼女はまずポチに優しい声をかけながら近寄ってきた。当然ポチは嬉しくなって彼女に駆け寄っていく。だんだん縮まるその距離に、ポチはヒゲをピンと立てて、にゃーと喜びの鳴き声を上げた。そして、あと一メートル位の距離に来たというときに、突然ポチの世界が、ぐるんと反転した。
蹴られたのだ。
それは痛みを全く共なわなかった。
地面に着地するまでに、青い空と、白い雲と、赤い屋根と、逆さまになった灰色の電信柱が見えた。
土ぼこりがふわふわと舞う中で、ポチは自分に何が起きたのかすぐにはわからなかった。
その場から動けないポチに向かって、女の子は次に、石を投げつけた。
ひゅんっ、と石が鼻先をかすめる。
ポチの中にやっと恐ろしさが広がり始めた。
そしてその場からすぐに逃げようとしたが、何故か足が根を張ったように動かなかった。
それは恐怖から、というより、人間に対する敬愛の念がそうさせた。
人間が自分に危害を加えるということをただただ信じたくなかったのだ。
涙を流せるならばこの町が塩水に沈んでしまうくらい、その場で大声を出しながら泣いたことだろう。しかし、猫は泣けず、鳴くことしかできない。
ポチは、自分が猫であることをその瞬間、深い悲しみの端っこで、とても恨めしく思った。
そして、目の前の、半分泣き顔をしながら自分に石を投げてつけいる女の子を、とても、とても羨ましく思った。
「ネコなんて大嫌いよ!あんたなんて消えちまえ!」
女の子は、制服の袖で涙を拭いながら、そう叫んでいた。
ポチは、崩れて泣きじゃくる彼女にゆっくり近づくと、その体を彼女の足に寄せた。
そして、その緑色の眼で優しく見つめながら、自分の気持ちを伝えようと震えた柔らかい鳴き声で静かに訴えかけた。
「なんなのよあんたは、大嫌いだって言ってるでしょ!」
彼女はもう一度ポチを蹴飛ばした。さっきより強く、今度はつま先で蹴飛ばした。
ぽーん、と猫は中に舞う。
今度は、ひどい痛みがポチを襲った。地面に転がった時、きつい草の匂いがした。
「私は猫が大嫌いなのよ。」
そういいながら、女の子はポケットから何かを取り出して、ぐすん、ぐすん、と泣きながら、転がったポチに向かい、ぴんっ、とそれを弾いた。
ポチの目の前にあった、楕円形をした石ころの横にそれは落ちた。
灰色の輪ゴムだった。
「次に出会ったときは、今日よりももっとひどいことをするから。
私を見かけたらすぐに逃げなさい。必ずそうしなさい。」
そう言うと、女の子は長い髪を一かきして、赤い目を擦り、くるっと背中をポチに向け、太陽が眩しい方向に去っていった。
ポチはズキズキと痛む体と胸の奥を抱えるように、ふらふらと立ち上がった。
目の前に落ちている灰色の輪ゴムをくわえると、舌の先が妙に苦かった。
ポチは自分が猫であることを、この時心の底から悲しく思った。

YES.jostein/hozzy

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