column

マヨヒガ。

俺のカッパや座敷童についての発言は決してギャグで言っているのではありません。ちょこちょこブログでもネタで上がっていたけれど、俺は大マジ。
その存在については勿論いる(もしくはいた)と思うし、彼らが誕生した発生源に対してもものすごく興味があります。
残念ながら、俺はまだカッパにも座敷童にもお目にかかった事はないけれど、昔の人には間違いなく見えていたはず。それは山深い場所やひっそりとした田舎に行けば行くほど、「なるほど」と手を叩きたくなるくらい実感します。

ゴールデンウィークに岩手県の遠野にいってきました。日本民俗学の教科書「遠野物語」を携えて時間のある限り遠野と岩手東部の海岸方面を見て回りました。
すげー良かった笑。
さすがにもう天然な状態じゃ昔の雰囲気の建物は町中には見当たらなかったけど、記念館になって佇んでいたり、その中にある展示物なんかも面白いものが多かった。
「オシラサマ」と言う神様がずらっと四方に納まっている部屋なんかは、正直鳥肌が立ちました、いろんな意味で笑。このオシラサマに関する伝説も、切なくて少し恐ろしくて、なんだか変な感じのする話で、それが生まれた背景が非常に気になる話の一つでした。
そしてカッパ!
カッパ淵という、いかにもカッパがでなさそうな怪しいしいネーミングの場所にも心躍らせながらいきました。
そしたら確かにいるぜ笑。気配があった。カッパをまつった祠にはカッパおじさんの写真がつる下がっていました。有名人だったらしいです。

人間には何だって見える。およそ俺たちが想像できることはなんだって起こりうる。
きっと多くの怪奇譚なんかは、人間がびびって見た幻覚や恐ろしくなって感じた圧迫感なんかを膨らまして創っていったんだろうなと、思います。
12月の雪山を夜通し歩き続けたら、雪女を暗闇の中にみたっておかしくないし。
だけどそれが全てだと言い切るのは、短絡的すぎる。
マジでわけわからんモノは突然現れる。
森や山じゃなくても例えばコンセントの穴のなかとかテレビの裏とか。
いないなんて誰が言えましょう。
「完全にいることを科学的に、論理的に証明せよ。」なんて言われたってできないね。だって科学じゃねーもの笑。
つーか逆に「完全にいないということを科学的に、論理的に証明せよ。」って言ったらどうなんでしょうか。そんなことは誰にもできないだろうに。
カッパや座敷童は、人の生活であり、精神であり、習性であり、そしてまたは、存在として俺らとは違う空間で生きている(生きているって言葉が適切かはわからんが)不思議な生き物として俺は認識しています。
なので、これからも時間があるときはその尻尾を追いかけて怪しいところへ可能な限り足を運んでいきたいと思ってます。
なんだかうさん臭い「自称・探検家」みたいになってきてるな笑。

ちなみにこないだの東北キャンペーンに行った時にも帰り俺だけ現地に残って、銀河鉄道にのって別行動、青森に行ってきました。
目的地は日本三大霊場の一つの「恐山」。
ここもまたすげーとこだったな。
わらじ買って帰ってきました笑。

YES.yanagidasensei/hozzy

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