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コリコリ。

俺が消えれば世界は消える。君が消えれば君にとっての世界は消える。あの電柱も石も木も形も言葉も意味も消える。光も闇も音も消える。時間も距離も次元も消える。消えるという概念さえ消える。「わたし」が消える。そして無が消える。

無が消えるって想像できん。ぞくぞくするぞ。

俺がいれば世界はある。君がいれば君にとっての世界はある。あの電柱も石も木も形も言葉も意味もある。光も闇も音もある。時間も距離も次元もある。「わたし」があって無があって、無があって全てがあって、そのとき俺や君の世界はしっかりと在りえてる。

世界に意味を与えてるのは俺であり君だ。
一般的に言う「世界」に生きているずっと手前でもうすでに俺たちは俺たちの世界を生きてる。
ある意味神じゃないか。王様じゃないか。
と、こないだ考えていたら気分が一気にハイになった。
例えば俺や君がいかに世界に絶望しても、それは俺や君の世界における絶望であって一般的に言う「世界」が絶望に染まっているわけではない。そうなんだよそうなんだ。
これって当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど、生まれて初めて心のそこから理解できた気がしてとても楽になった。

そう考えると世界は、この世界に数え切れないくらいある。ブルーハーツが「ハンマー」という曲で『48億の個人的な憂鬱、地球がその重みに耐えかねてきしんでる』と歌っていたけれど(当時は地球全人口が48億人だったのだろうか?つーか短期間でちょっと人間増えすぎじゃねーか笑)、この詞の真意は実は俺が上に書いたようなことなんじゃないかと今になって勝手にそう思い込んでいます笑。ハンマーいい曲だ。

「心がけによって毎日は清くも濁ってもうつる」という使い古された言葉。使い古されているだけあって実は案外もっといい意味のこと言っているのかもしれません。ぱっと見なんか鼻についてしまうけれど。

YES.kagome/hozzy

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