Lumo。

秋田県の男鹿(おが)へ、「ナマハゲ」に会ってきました。去年の遠野旅行から約一年が過ぎ、前回のカッパ探索から今回はナマハゲ体験へ。
実際、ナマハゲがどういうものなのかってのを運良く実体験することができました。秋田県は男鹿の山奥にある真山神社の側、ナマハゲ資料館並立真山郷土館にてナマハゲ実演の講習会に立ち会うことができました。講習会って言っても堅苦しい講演みたいなものではなく内容は男鹿の年越しを再現する、というものでした。俺も正直ナマハゲについてはよく知らなかったのですが、どうやらナマハゲは秋田の年越しにやってくる神様の使いのようなものみたいです。
「わるいごはいねがー、なぐごはいねがー」って叫びながら出刃包丁を振り回す鬼のような恐ろしい形相をしたあのナマハゲさんです。この講習会、俺含めて五、六人くらいしかいなかったんですが、みんなナマハゲにびびってました笑。だって実際恐いんですもの。人間がナマハゲに扮装してるとは思えなかったくらい。
まず、年越しと言う設定で古い日本の家屋に招き入れられそこで講習の始まるのを各々じっと待っていました。いろりの上には湯気をたゆわせる鉄のやかんみたいなやつがぶらさがっていて、煙の匂いと畳の匂いが混じった何とも日本昔話風な雰囲気の室内でした。そして係の人のナマハゲ説明をボケーっと聞いていたら、そこへいきなりナマハゲがドンドンッと戸を勢いよく叩きながら登場してきました。「ウオー!ウオー!」と叫びながら足をダンダンと踏みならし畳の上にのしのしと上がってきた時、普通に顔が引きつりました笑。こわくって笑。
ここからの実演の流れは、ナマハゲとその家の主との問答から始まり、家主の今年の収穫への感謝、ナマハゲのまた来年への安定した収穫の約束、そして子供たちが隠れている場合はナマハゲの恐ろしいマジかくれんぼ実践、そして最後に家主が餅をナマハゲに渡し、またドンドンと足を踏み鳴らして彼らは次の家に去っていく、という流れでした。「ウオー!ウオー!」がマジすぎてほんと恐ろしかった笑。
この家主とナマハゲの問答には、子供や嫁たちの普段の行いについての質問や「ナマハゲ手帳」なる怪しい手帳に書いてあるナマハゲから見た嫁子供の日々の素行についての言及が繰り返されます。そして「親父よ、子供をもっとしっかり躾けろよ、子供が言うことを聞かなかったら三回手を叩け、そしたらまた儂がやってくるからな」と子供に聞こえるように戒めて、恐ろしさをアピールするようなシーンもありました。
ううーん、と、この講習を見ていて畏怖と同時にふかく感動しました。人間ってやっぱり弱くて強いんだなーと。そもそも「ナマハゲ」と言う名は、「ナモミを剥ぐ」という所からきているみたいです。ナモミとは火型とも言い(毎日働きもせずいろり等でぬくぬくしていると出来る軽い火傷みたいなものをさすみたいです)そんな人間を戒めるために出刃包丁等でナモミを剥ぎにくる鬼のようなものが「ナマハゲ」みたいです。子供にとっての強烈なしつけ道具、怠け者にとっての恐ろしい戒律の権化、村人にとっての豊作をもたらす神の使い、色々な面を持つ「ナマハゲ」は厳しい環境に住む人にとって神様よりもある意味必要とされた生きる力みたいなものだったんじゃないかと俺は思いました。遠野の河童や、様々な伝説もそうだけど、それらも人間が生きるために必要な力の源だったんじゃないかと思います。柳田邦男の「遠野物語」を東京で読んだって「ふーん」で終わってしまうかもしれないけど、現地に行って自分でその場所を歩いたとき「ふーん」以上の大きなエネルギーを感じるのは俺だけじゃないはず。だからこそあの著作や遠野があんなにも支持されているんだろうし、河童にロマンを持って接している人もいるんでしょう笑。
今回の件で更に考えが深められた点は、「人の神への依存性」についてです。なんだかうさん臭いタイトルですが笑、これすげー重要で笑えないことです。
俺たち、今、どこへ行ったって基本電気がある場所で一日を過ごせます。よっぽど物好きでなければ「アンチエレクトロニクス」を掲げる輩はおらんでしょう。神様は「光」にとって変わられてしまいました。
そもそも神様っていうのは光の中には居ない。というか必要がない。とうのも日光があるときって人間は不安にならないからです。実際、神様が必要なのは闇の中です。夜の闇夜があるから太陽に対して人は「おてんとさま」を見る。
だから「神様は光の中に居る」と逆説的にそう俺たちは思う。そして、光=神になる。人間は闇に滅法弱いから。そんな中、現代科学の発達によって俺たちは夜でも光を手に入れた。整備された道路も手に入れた。もう夜の山も恐れることはない。山は肝試しでびびる。くらいなもんです。俺たちはもう新しい「神」を手に入れてしまったんです。「科学」ね。古くさい「山岳信仰」や「地母神信仰」は非科学的とされて、単なる慣例の一種になって地域地域に異なる形で細々と根を下ろしている程度になっている。それはそれで人類の素晴らしい進歩だ!と勿論言えます。便利だし、食いもんは臭くならないし。ただ、面白いなぁと思うのは、その巨大なものへの依存具合は全く変わっていない、という点です。目に見えない精神だろうが、いつでも部屋を照らす電灯だろうが、俺たちは必ず「闇」に対抗する力を欲してる。暗闇から逃げ出したい欲求に支配されている。ここが俺が興味を引かれるポイントです。光への希求は本能なのか、はたまた別に闇へのなんらかの人類的レベルでのトラウマなのか。
神様は確実にいると思われます。人が光や希望に依存する限りにおいて。気をつけてください。科学的生活ではカバーできない不安をヒドい新興宗教はうまい具合につついてきます。まあ偽だろうが本当だろうが、本人にとってどうか、って事が全てだけれど。
そして、妖怪や神の使い「ナマハゲ」は確実にいます。今まで書いてきた意味においても勿論そう。その土地の人間に必要ならばいる。いらなければいらない。遠野いった時も思ったけれど、俺があの山に冬に迷い込んで今みたいな生活に出会っていない昔の人間だったら俺は確実に「雪女」を見ているでしょう。それは「幻覚」だ、とも言えるだろうし、はたまた本物の「雪女」がいた!とも言えるでしょう。どっちだっていいんだ。「幻覚」も「本物」も判定するのは結局時代や他人なんだから。見た“本人”にとってはどれも「本物」でしかない。だって見てしまったんだから。この「見る」は自分以外、どの人間にだって見ることは出来ないんだから。見る、見えない、触れる、触れない、これらを細かく問答していくと哲学的問題に膨れ上がって何時までもかかってしまいそうだからやめときますが、要は自分が見たものは「見た」限り、現実でしかない。誰に否定されようが肯定されようがそれは全て無意味だ。残された選択は自分が見たものにどういう解釈を与えるかということだけです。そこで肯定や否定を与えればそれが真実になる。それ以上でもそれ以下でもない。ちなみに俺は妖怪見た事あるので肯定します笑。

ナマハゲから色々と刺激をもらいました。ナモミを剥がれないようにでっかい盾を用意しておくことにします笑。俺は適度に怠けますよナマハゲさん笑。

YES.oga/hozzy

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