2008年3月12日
in Column
ひとつでないひとつ。
ガムが俺になっていた。
そのツルっとした緑の粒を噛み始めた瞬間、
見開く空気にくしゃみを打ち、
あいかわらずなんて変な食い物なんなんだと
ガムを妙におかしく思ったのもつかの間、
舌がおいしくなって
さて、曲でも作るか、とギターを弾きだした時には
俺はガムになっていた。
しばし時が流れる。
ガムが再びガムに戻ったのは、俺の口がまずくなってから。
ギター置いて、背伸びをして、
げっぷがでそうででない、たるい後味に、おえっ、てなった後
「ぺっ」って、
それを銀紙に包むと、やっとそれはガムに戻り、
この俺ではなくなったのでした。
ガムをひたすら噛んでる時、俺はガムを「噛んで」はいない。
俺とガムはただ、一つになっている。
吐きだしたときに、やっとガム噛んでいた事、思い出したのでした。
「ひとつ」なんて言葉にもする前の、純粋なひとつ。
ガム噛んでるときのガムと俺の一体感。
0.1センチもずれることなく、
唯の、素っ裸の、すきまのない、いったい感。
そんな風に生きていたい(なんて難しいことなんだろ)。
活きたい。
行きたい。
そして充足のうちに
逝きたい(イクって響きは色んな意味の言葉をもっているのね。ちなみにオルガズムのイクはどの「いく」なんだろう。英語のカミングに対してやっぱ「行く」なんでしょうかね。ってか真面目に提案することじゃないのかしら)。
今日は久々に午後の光を、
「ちゃんと」
見た気がした。
「見る」前に感じた気がした。
単純に感動したのでした。
YES.pm1523/hozzy