ひとつでないひとつ。
ガムが俺になっていた。
そのツルっとした緑の粒を噛み始めた瞬間、
見開く空気にくしゃみを打ち、
あいかわらずなんて変な食い物なんなんだと
ガムを妙におかしく思ったのもつかの間、
舌がおいしくなって
さて、曲でも作るか、とギターを弾きだした時には
俺はガムになっていた。
しばし時が流れる。
ガムが再びガムに戻ったのは、俺の口がまずくなってから。
ギター置いて、背伸びをして、
げっぷがでそうででない、たるい後味に、おえっ、てなった後
「ぺっ」って、
それを銀紙に包むと、やっとそれはガムに戻り、
この俺ではなくなったのでした。
ガムをひたすら噛んでる時、俺はガムを「噛んで」はいない。
俺とガムはただ、一つになっている。
吐きだしたときに、やっとガム噛んでいた事、思い出したのでした。
「ひとつ」なんて言葉にもする前の、純粋なひとつ。
ガム噛んでるときのガムと俺の一体感。
0.1センチもずれることなく、
唯の、素っ裸の、すきまのない、いったい感。
そんな風に生きていたい(なんて難しいことなんだろ)。
活きたい。
行きたい。
そして充足のうちに
逝きたい(イクって響きは色んな意味の言葉をもっているのね。ちなみにオルガズムのイクはどの「いく」なんだろう。英語のカミングに対してやっぱ「行く」なんでしょうかね。ってか真面目に提案することじゃないのかしら)。
今日は久々に午後の光を、
「ちゃんと」
見た気がした。
「見る」前に感じた気がした。
単純に感動したのでした。
YES.pm1523/hozzy