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限りなく無謀に近いブルー。

俺が、根本的に問題にしている事柄を音楽に託すことは、限りなく無謀に近いことかもしれません。

一個前のコラムにスーパー強引にあげたのは、去年の冬に格闘していたハイデガー思想との対決的メモです。
一目見て解るように、わけがわからん言葉が羅列されまくっています。
おれの頭の中での整理の記録なので、俺にしかわからないのは当たり前なんだけど、自分で改めてみても、多少混乱してしまう。

つーことで、皆さんはわけがわからんままに内容はシカトしといてください。
わかってもらおうと思ってあげたものではないのです。

野望を示すためのデモンストレーションです。

つまり、いわゆる俺たちの根本、生や世界に対するわけがわからない葛藤を、結晶に、明確に、どこまでも平坦に、かつ、独創的に音楽にしたいのだけど、それは限りなく困難で、言ってしまえば、バカらしく無謀です!

けれど、恐れ多いながらその理想を人生かけて実現にむけて、俺は生きていたいのです。

こんな告白して超こえぇ。

自分で今書いてて、スーパーびびっています。

you may say I'm a dreamer、、、。

どころじゃないかもしれん、、。

人に自分の理想を否定されるのは、あるいはさほど恐ろしいことではなくなっているかもしれません。
傷つくのはやっぱ嫌だけど。

けれど、正直幾分慣れてしまったのね。とことんすれたというのかな。

そして、それより何より一番、おっかねえことは。

自分の野望を自分が否定してしまうこと。

解決をもたらす否定ならば、まさに待ちこがれていることですが、そうじゃない否定、否定?

違う。

絶望のうちにあきらめきってしまうことが何より、恐い。

造語、散文詩、エスペラント、とりあえず、なんと無力なことだったんだろう、と前にもコラムで詩についてのことを書いたけど、俺がずっとこだわってきた詩の方法は、ことごとく軟弱で、まだまだ骨と皮のような代物でした。
もっと、濃密に方法を熟成させなければ、頓挫につぐ頓挫の連続が、雪だるま式に膨れ上がって、ただ孤独と誤解だけを増幅させるような結果になってしまう。
それでも共鳴してくれた方々には、尽くせぬ程の感謝をしています。
今、こんな考えができているのも、あなた方のおかげでございます。

俺は現時点であまりにも非力だ。

びんのふたほどの器の中の蛙である。

時間がいる。膨大に時間がいる。

どこまで俺がこの仕事を続けれるかはわからないけれど、じじいになった頃に、いまよりも高い景色の中で、モノを眺めることができているようにと願う。

だからそれまで死にたくない。

YES.dream/hozzy

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