column

にじゆうなな。

遅れましたが、誕生日のお祝いの言葉ありがとうございました。
大阪では大勢の皆さんによる歌もくだすってありがとうございました。
あの人数の人たちにハッピーバースデイ歌われるのは初めてでした。
かなり不思議で素敵な気分でした。
27か。

27ですよ。
ふぉう。

高校卒業してからもう8年も経ってる。信じらんねー。
小学校の時間まるまるぶち込んでも足りないんだよ。
本当にそんなに経ってんだろうかね?
ってしっかり経っているんだけども笑、どうも本当に信じらんねース。

なんでどんどん時間が経つのが早くなるんざましょ。
小学校の時の6年間と、最近までに経った6年間は絶対に平等じゃないでしょ。
なのに常識ではこれを平等と見なすでしょ。
おかしくなってるのは俺たちの感覚の方だと。

あいまいであります。実に、あいまいだ。

実は以前から密かにこのテーマに挑み続けているんですが、ぐりぐりこねくり回されたロジックのもと常識のロックを一個一個外していってみると(ある意味自分を洗脳するに等しい)なんとなくわかってきたような気がしてます。

『時間はどんどん早くなる』

そう、時間は経つにつれて早くなるのがどうもほんとうっぽい。

小学生の頃の24時間と、今の24時間は数字で見ると同じ24だけど、小学生の頃の24の方が質的におおきい。

24>24

数学の構造が完全に破壊されてますな。

でっかいケーキもちいさいケーキも両方24分割できる。

両方数は同じ24個だけど一個の大きさが違う。

それとおんなじで、時計で示せるのは24の数字だけだから、俺たちはすっかり時間に騙されてるんじゃないかな、、、。

じゃあ、なんで大きかった時間が小さい時間に変わってしまうのか?ってのは、人間個人個人の記憶に関係してくる、、、、ってちょっとオカルトチック、、、

、、、、、、、って27になったそばからまた馬鹿な事をいってら、、、、、って思っていただいても結構でございマス。

俺は馬鹿です。

つまり強引に言っちゃえば、時間は一定に流れる「わけがない」って事ですな。
スタートラインからして時間に関する科学の常識は役立たズ!ってことになる、と俺も思っている。
本当かどうかは示しようが無いけれど、実際その考えの方が非常にリアルだ。
「そうだ」って感覚が重要なんだ。
俺はリアルにそう思っている。
彼も思っている。

ベルクソンの哲学がそれをよく教えてくれました。
哲学って馬鹿みたいだけど凄いよやっぱ。

これが好きな人は利巧じゃないね、まっすぐに生きれない人。
本人は利巧でまっすぐに生きているつもりになっているけれど。

ねじくれてる。
完全にスイッチが入っちゃってる世界にしか興味が持てない。
表には必ず裏がある。
それに触れたらもっと顔を突っ込みたくなっちゃう。
もう戻って来るつもりもない。

俺は一生哲学を好きでいると思う。
もっとぶっ壊して欲しいし、自分でもちゃんと作って行けたらと思う。

時間は平等には流れない。

これからもっと加速していくだろうな。

長生きは果たして長生きなんだろうか。

完全な一瞬の方が、一生よりも長いかもしれない。

そうやってかの伝説的ロックスターたちは皆27で死んで行ったのかもしれない。

ふぅ。

絶対に俺は死ねないな笑。

まだ何もできちゃいねえものよーン。

創るってことの本当の感覚が未だによくわからん。
最近そのことばっか気になってる。

とにかく今年はいっぱい曲を作る。
すげえのつくりてー。

YES.philosophy/hozzy

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