欠けたものたち。
なにやら厨房の方が騒がしい。
ここは有名な珍味料理店。
古今東西いろいろなキワモノ料理がそろっている。
うまい物に飽き飽きしまった私の五感は、もはやこんな奇妙な場所にまで私の精神を連れて行ってしまう。
店の看板に名前は無い。
仄暗い裏路地の、更に湿った地下の角。
立派な口ヒゲを蓄えたインド人風の男が(ターバンを巻いている)腕を組みながらすらっと立っている。
彼はいつも笑わない。
ろうそくほどの薄明かりのもと、恭しく料理が運ばれてきた。
南京虫のビール漬けである。
ゆっくりと口に運ぶ。
苦みが利いていて非常によろしい。
まさに苦虫をかみつぶすとは、このことをいうのであろう。
絶妙な情感に息苦しくなった。
悶々と舌を踏みにじるようなこの「苦み」という刺激が人の道徳心に、歴史に、成長を与えてきたのだ。
「痛み」ではなく「苦み」
心と向き合う余裕を残した責め苦である。
私は一筋涙をこぼした。
続いて、一式の器具と素材が運ばれてきた。
スポイト、すり潰し機、ボール、猿ぐつわ、アイマスク。
にんにく、納豆、カメムシ、スカンクの肛門嚢、ミント。
アメリカ人風のボーイに(やたらタフガイ)「セッティングいたしましょうか?」と流暢な日本語で尋ねられたが、断った。
自分でやるのが本物の通である。
まずすり潰し機で素材を丹念に砕いていく。
新鮮な(虫に関してはいつもここの店は生きたままだ)食材をアレンジしていくのはプロならずとも素人にとっても十分に快感な作業である。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、丁寧に全ての素材をすり潰していく。
この時点で、もの凄い臭気に私の全身は包まれているが、こんなものではないのだ。私が求める「匂い」という物は。
十分に液状化した素材たちを一滴残らずボールで混ぜ合わせる。
いい色だ。
涙をこらえて、きつく猿ぐつわをくわえる。
言葉はもうでない。
スポイトで液状化した料理を慈しむように吸い上げる。
アイマスクをを装着して鼻から息を吸って、ぎりぎりまで深く吐ききる。
そして鼻腔にスポイトを挿入し、一気に料理を流し込む。
およそ30分間、悶絶を続ける。
吐く息は臭く、吸う空気も臭かった。
涙はあふれ続け、何のために涙が流れるのか解らなくなった。
YES.spuit/hozzy