こぼれていったものたち。
青年は泡になった血を気にすること無く垂らしている。
こちらをじっと見ている。
笑っている。
温かく微笑んでいる。
青年は口を大きく開け、唾の混じった血を左手に持ったグラスに吐き出した。
視線はずっとそらさずに私に固定されている。
いかにも意味ありげな表情を視線に宿しながらにやついている。
グラスの側面にピンク色の液体がへばりついていった。
私の金的攻めに崩れ去っていたタフガイのボーイが、いつのまにか消えていた。
あれだけ悶絶していたのにどこへ行ったのだろう。
すると頭痛がしてきた。
始めは脈拍の4分の1程度のペースで、それがだんだんと早まり2分の1、そして脈拍程度、次第に2倍に、気づけばテンポは点ではなく線になり、
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と、頭蓋骨に巻きつくように痛みが締め付けてきた。
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうと骨を砕く勢いであった。
「お客様、フレッシュピンクジュースでございます」
タフガイが目の前に立っていた。
先ほどのやりとりなど全くなかったかのようにそこに立っていた。
表情のどこをとっても無理をしている、もしくは敵意を私に抱いている色はつゆほどもみられない。
「なあ、あんた俺を殴りたくはないのかい?」
びっくりしたようにかれは答えた。
「お客様、どうなされたのですか?!私どもに不手際がありましたらお申し付けくださいませ、、、」
「いや、もういいや。なんでもない、、、、」
彼はやはり脳みそまでもが筋肉だったのだ。もしくは徹底的にこの店に心酔しきっているのだ。透明な幻想に頭までどっぷりつかっているのだ。もう放っておくのが賢明なのだ。
「、、、、ちなみにこのジュースはなんだい?」
「はい、私どものコック見習いが体を張って作りましたあなた様のためのスペシャルジュースでございます」
「、、、、この歯もそうなのかい?」
私はアロンアルファでくっつけた前歯を指差してきいた。
「はい、その歯でお客様の欠けた部分をわずかながらでも埋めて差し上げたいとの僭越ながらわたくしからの発案でございます。料理長に掛け合い本日ようやく実現いたしました」
「さっきの青年はそれで歯を折られたんだね」
「左様でございます。彼は見習いですので」
この席に着いた時の、厨房からの妙なざわめきはどうやらこのことが原因だったらしい。
私は歯をコツコツ叩いて聞いた。
「、、、、彼は私を恨んでいるんじゃないか?」
タフガイは無風の湖のように静かに笑った。
「とんでもございません。彼のあの顔をご覧になりましたでしょう?決してお客様を恨んだりなどはいたしません」
「そうか、、、」
私の心は急速に冷めていった。
頭痛もさらに増していった。
わかりやすい展開に興ざめ甚だしかった。
狂気とは何なんだろうか。
言っておくが、私が今身を置いている光景は、全く狂気でもなんでもない。
クソめしを喰らう行為、自らを削り取り提示する行為、意味ありげににたにたと不気味に笑ってみせる行為、暴力にその片鱗を求める行為、そのあとのいかにも正常然とふるまうような行為。
それら全てはおもちゃである。
PSP的である。
面白いが、実に、リアルからはほど遠いものである。
わかりやすすぎるのである。
だから、みんな安心するのである。
どいつもこいつもそれらしく芝居ってるのである。
本当の狂気というものは、発現などしないものである。
世界の空気に決して触れないものである。
外界との皮一枚を隔てて内側にうごめくものである。
その皮が振動となり形を変えて相手に不穏を与えるものになるのである。
他人にはその本体は決して届かないものである。
そしてわかりやすく狂気性をまとうものは、皮の外側であらかじめ拵えられたただの欲求にすぎないものである。
内側のどうしようもない衝動を、他人と自分とのこの世界にどうにか進出させるための故意的行為に過ぎないものである。
無意識的であってもだ。
我々は、共通することをいかにも必要としている。
共有することに全力を傾ける瞬間が、ほぼ全ての社会性を貫いている。
求めるよりも前に社会に求められている。
社会とは、無人の有人的空間である。
特定の誰かがつくりあげてるものではない、いつの間にかあんたが参加しているものだ。
その巨大な力はわたしに共通を求める。
共有を求め続けてきた。
そこにおいて、本物の狂気が皮を通過する隙間など、ほんらい一分たりともないのである。
しかし、
それを打ち破る人間たちが現に存在するという事実が実際的にあるのだ。
皮を突き破って、そのまま己を発現する人間たちがいるのだ。
模倣ではない自己実現。
鎖を外した生命性。
ひかりをはなつものたち。
それは現実世界では通用しない非:人間的なものと見なされる。
マジョリティーが実権を握るのが現実世界だからだ。
多数が正しさに結びつくのが正しさの原理だからだ。
社会はそんな人間たちを心底恐れている。
本物の狂気におびえている。
そう言う意味では、この店も所詮お遊び、素人狂人たちの戯れに過ぎない。
狂気に恐れを抱く小心者たちが、恐ろしさのあまり自らをすすんでその空気の中に身を置く、自己防衛本能に素直なクソども、金を多少持ったビビリどものサロンにすぎない。
血を吐いた青年がこちらを見ている?
笑わせてくれるな、ハリウッド映画もどきめが。
展開に、わかりやすさは重要なファクターではあるが、そんなものはここの料理以上に吐き気を催す代物である。
私はそれを知ってここへ来たのか?
わざわざそれを確かめるためにここへきたのか?
答えはノーだ。
私はまた、さっき述べたようなビビリの中のただの一人に過ぎないのだ。
ぶっちゃけ怖いのだ。
ある時突然、皮の内側の暴走が私の精神を粉々に砕くのではないのかと、
、、、、、、怖いのだ。
だから変態料理を食べ、変態ウェイターをいたぶり、変態を装う自分を、しっかりとこの現実の座標軸に『先進的変態』として定めておかなければならなかったのだ。
ただの変態では弱いだろう?
先進的でなければ、いつか狂気に喰われてしまう。
私の中は、いつも脅威に満ちている。
シュールだって何だっていい。
狂気は発現するものではない。
潜み続けててゆくものだ。
私はコック見習いの青年の渾身のジュース、「フレッシュピンクジュース」を、くっつけた歯に転がしながら舌の奥で味わっていった。
YES.cabernet/hozzy