ああ、時の流れのように。

ああ、時の流れのように。

いつの間にか当然のようにPVが「MV」という言い方に移行している。
小さなことだけど、こんな変化の集積が、俺を更に「大人」へと押しやってゆくんだろ。
知らないうちに、知らない世界、言葉がまた増殖していく。
そしてそれに気づいた時には、理解から一歩遅れていく。
小さな、小さな、変化の連続。
わからなかったことがわかるようになり、わかってたことがわからなくなっていく。
人間のもつ「幅」について、近頃よく感じる。
「幅」は俺の思想をカバーできる範囲、感情を制御できる範囲、「記憶」とは違う、今この瞬間から今の自分の感触をさかのぼれる過去までの地点。
どこで変化は訪れている?
それは変化して数日数ヶ月数年経たなければ解らない。
その幅の連続。
ちがう。
現状態の把握から、一本に区切りを入れる事が出来る分化点の発露。
俺は塊として移行している。
この世界と関わりながらか関わり無く。
この体が私ではない。
体を超えた幅が、否応無く自分の存在を有り様を決定づけている。
それは今この瞬間を円のように取り囲んでいるとは限らない。
幅は2年4ヶ月16日前とリンクしているかも知れない。
幅は7年10ヶ月3日前とより強くリンクしているかも知れない。
時間は、正しく順序通りに俺の「幅」に刻まれてはいない。
この「幅」にいわゆる直線的な時間は関与しない。
帯状に、記憶に関与する。
「幅」は時間の束縛を超越している。
超越しなければ「幅」を持つ事などできないと俺は考える。
自分のこの「自分」は直線の時間の奴隷のままになっているのだとしたら、このような厚みは持てないだろう。
楽しかった事、苦しかった事、それは過去のバラバラの地点に散在している。
その日その日によって、そのバラバラの地点に俺の「幅」は繋がって厚みを持たせている。
時間をカウントする能力がなれば、こんな話もできないが。
過去さえも語れないが。
確かに俺には時間は直線的に流れているように感じられるが。
というよりそう考えなければ、何も語れないが。
時間はただ横に流れるってだけの代物ではないと感じるんだやっぱ。
時間のカウント能力が崩壊した瞬間、人は狂う。
その瞬間をちょっと知っている。
だから余計に。

確固とした「自分」の硬くない具合に、恐怖を覚える。

たまたま時間をカウントできているだけだったらどうしようって。
卵をかき混ぜた後みたいに、すべてが同じ色に染まったら、きっと自分は消える。
俺たちの精神はそれほど、危ういものだ。
最近話題だったマインドコントロールが可能なのも、思っている以上に俺たちの精神は柔いからだ。
いったん崩れるとそっからが早い。

時間の本質を言葉で語った人間はまだいない。
悟ったとされる人間は何人もおられるようだけど。
それは言葉では語れないものらしい。

時間って、考えだすと、神経が縮こまる感触がすごい。
遠くなる。
そして「幅」を感じるんだ。

はば、はば、はば、ばばあ。
幅の基軸がだんだんと世界から離れていったとき、俺は時代遅れとなり、「最近の若者がわからない」とじじいの言葉を胸の内に溶かすようになるのだろう。
こわい。
「最近の若者、、、、、」という文句が浮かんだとき、俺はその言葉にどれだけ嫌悪を感じたのかを思い出さなければならない。

まだだいじょうぶ笑。

音楽やってたら当然だけど、なるべく感度高くいようと思ったら避けては通れない道である事は確か。
ごまかせないったらありゃしない。
自分だけ客観的になるなんて、そんな神のごとく姿勢はできない。
時代を超越したものを目指すっつっても。
それがわかるのも最低50年くらい経ってからだろうか笑。
そんときゃそれこそもうじじいになってる。ファック。

別に「ノクティルカ」に関連づけてこの話をしているわけではない。
なんか「ホタル」が青春の歌だから、その距離感に思いを巡らせた結果こうなったのだ。
PVもといMVはとてもきゅんとくる仕上がりになったです。
協力してくれた彼ら&彼女に感謝!!

YES.haba/hozzy

hozzy