文鳥はどんな夢を見てる。
私はまた知った。
人間はやはり思っている以上に高等な生き物ではないということ。
バカではない。
けれどもそんなに凄くもないってさ。
よくあるテーマだけどよ。
カメと鳥が似ている。
くちばし、目、つめ。
そして感情表現が、想像以上に豊富である。
びっくりした。
人間の方がさすがに複雑な感情を持っているのは否めないけど(芸術を愛したり、同種族を殺したり)
けれどもなかなかどうして、動物たちも単純ではない。
リクガメを飼い始めてまだ3ヶ月半くらいだけど、だんだん性格とかが解ってきた。
そして二周りくらい大きくなった(まだ警戒心を解いてくれないのが憎い)
そして白い文鳥がかわいすぎて、またこれも飼い始めた。
俺はもうペットショップに行ってはダメだ、、、。
バカになる、、、。
いや、ばかです。
鳥を飼うって発想が、これまで全くなかったのでイメージでしか鳥をとらえないで俺は人生を生きてきた。
スズメとかアヒルとかニワトリとか、カラスは別にしても、あんま賢いイメージはなかった。
つーかケンタッキー。
ウズラの卵。
肉団子。
焼き鳥。
正直食いもんのイメージが強い。
焼き鳥大好き。
だけども、出会った鳥さんはまるで人間のように知性を有した生き物だった。
甘えるし、嫌ならアピールするし、指を甘噛みすることができる(これは相手の存在と自分の存在を共有というか、同列に持ってくる知性がなければできないんじゃないかと思う)
びびったよマジで。
動物好きの人からしたら当たり前のテーゼなのかもしれないけど(すんません)、いままでそんなに興味の対象にしてなかった人間からすると、もの凄い衝撃です。
てゆうかとんだ勘違いしてて今までゴメン「鳥全般様」て感じだ。
カラスがよく窓の外で会話してたり、空中で戦いを繰り広げているのを見たりするが、人間には思いもつかない発想力で世界の謎を解き明かしているかも知れない。
互いに奪い合う価値は、俺たちにはわからない物質はもとより精神さえも超えた、もっと深淵なものなのかもしれない。
そんな余白さえ、広大にのびてる感性を鳥君から感じるよ。
誇張ではなく、生き物は想像以上に凄かった。
過去形にするのは変だけど笑、俺は遅れている。
彼らの事を知りもしないで、税金を納めてそれに文句言ってガソリンがたけーとか言って、世界一受けたい授業を録画で見たり、トマトに踊らされたり(京大の先生のあの発表は時期尚早、研究資金調達の魂胆見え見えじゃあないのかって思うのよ)、日々更新される新しい凶悪事件を横目で見たり。
そんな人間である自分が俺は大好きなんだけれども、同時に空しくなるのも否めない。
なんでこの空の下にいるんだろうって、やっぱ素になるんだ(ほんとに)
鶏肉を食いながら、鳥の世話をする自分。
滑稽なのに、やめられない人間。
笑っちゃったら、何もかもがつまらなくなる世界。
斜に構えたら、全部クソになる。
だから、正面から見なければ。
そしたら、たまに知らなかった物事に打たれる瞬間がやっぱあるんだ。
文鳥君は打ってくれたよ僕を。
ネコ先生も。
人間は複雑すぎるから、俺も人間でいなければやっぱ対応できない。
人間になんなくても触れ合えるのが他の動物たちなのかもしれない。
生きてる同士で出会える瞬間。
だからホッとするのかもね。
悲しいのか素晴らしいのか解らないところがまた、人間を詩的空間に押し上げる要素なのだ。
俺は当たり前のようにまた鶏肉を食うだろう。
鳥がどんなに美しくても。
YES.tori/hozzy