南相馬市小高区ボランティア。
というわけで、超短期で(1日のみ)福島県の南相馬市にボランティアに行ってきた。
頑張ったらぎりぎり日帰りで帰ってこれた(深夜0時に出て23時50分に家着いた笑)
ちょうど1年ぶりぐらいの南相馬市。
前回は雨が降って、俺は途中で撤退した(普通どこのボランティアでも雨が降ったら中止になるけど、去年の南相馬市はそれでも作業を続けていた、ので俺は自分の判断で中止した)
今回は、最後までやるぞ!と意気込んでいったけど、結局また途中で雨が降ってきた。
屋外作業は、今回は中止になった(去年のスタイルがちゃんと見直されたようです)
けれど屋内作業でまだやれそうな場所があったので、しっかり最後までやって今回は終了できた。
ちょうど先月の4月16日に、南相馬市の警戒区域が解除された(他の地域でも解除されている箇所がある)
今までは検問があって入れなかった地域が解放された。
自由にだれでも法律上は行き来できるようになった。
そこで、またその地域の復旧作業を進めようということで一度締め切っていた(去年の夏ごろ一度募集を終了していたよう)ボランティア募集を再度南相馬市のボランティアセンターが開始した。
被災地域のほとんどがもうライフライン(ガス、水道、電気)の復旧はすんでいると思うけど、今まで立ち入りが禁止されている場所はまたこれから復旧作業を進めていくことになる。
今回俺が作業させていただいた場所は、南相馬市の小高区というところ。
原発からは20キロ圏内で、復旧作業も進んでいないので水道も電気もまだ使えない。
当然除染も全く実行されていない(水が使えないとこの作業は効率よくできないらしい)
まさにまたこれから、1から始めなければならない場所のひとつ。
で、もうほんとにいろいろと考えさせられるというか、どう書くべきかわからないんだけど、なんか色んなことが難しすぎる。
そこにまたこれから暮らそうとしている人たち、実際どれだけの悪影響を及ぼすのか誰にもわからない放射能、原発停止に伴う東電の賠償能力の更なる低下への避難者の不安。
なんかね、もうなんでこんなに複雑なんだろうて、1日しかいなかったけど、というか1日だけという限定をつけなければ俺もボランティアという立場では参加することが心理的にも正直無理だ。
いろんなことがわからなすぎて、今までなんも知らねえで電気バカスカ使って生活して音楽垂れ流して悦に入って、そのしわ寄せの最終地点がこんな状況だなんてな、誰が悪いのかも、どうすれば良かったのかもわからないけど、やっぱ間違ってるってのは間違いない。
東電が潰れたら、困る人たちだっている(誰が避難者に賠償金を払い続けるのだ)あの会社は人の生活を背負って頭を垂れ続ける責務と反省を不可避的に永久に持ち続けなければならない。
とりあえず、今回の警戒区域の解除はいろんな問題があるってまた言われてる。
水道も電気も通ってないのに解除されても、家の片付けも効率的に進められない。
それに伴って除染もすすめられない。
誰でも自由に入れるようになったせいで、泥棒行為が横行している(県外からやってくるらしいよわざわざ)
特に信じられないのは、またどんな計画のもとにこの警戒区域の解除を政府が実行したのかよくわからないんだけどそこはさておき、マジで泥棒の被害が結構多いらしいということ。
鬼畜のようなやつがほんとにいるみたいなんだよ。
セブンイレブンの窓ガラスが割れててそれも泥棒がやったんだろうって話だったし、実際ボランティアの人で泥棒をつかまえたって人もいたりして、すげえ怒ってた。当然だろう。
いるんだよそういうやつが。
地元の人たちで自警団なんかも作って見回りしているらしいんだけど、もうそういうのやらせないでほしいよな。
ひどい苦痛をもう味わっているうえに、さらにそんな被害にあったらたまんねえって。
どう思うよこんなの。
けどそれが現実らしいんだ。
今回やらせていただいた作業は、依頼のあったお宅の裏の草刈りと、そこで雨が降ってきてしまったので、別の場所に移ってビニールハウス内の清掃。
作業自体は、岩手でやらせていただいたこととほとんど変わりがなかったけれど、やっぱり放射能のことがあって行政側の制限が厳しいのでそこにちょっと気をつけたくらい。
刈り取った草とかもあんまり一カ所にまとめとくとそこがホットスポット化するので対処するようにとか(どう対処したらいいのかは不明なんだけど)、側溝の水たまりには近づかないとか。
けどこんなのいちいち気にしてたら作業なんかできないから、皆さんあんま頓着せず。
そうことなので、俺は長期では参加しないことにした。
ボランティアだからね。
1回1日が俺の判断。
なのでまた日にちあけていこうと思う。
がれきとか、宮城県のやつでもこないだ北九州市で猛反発が起きてたけど(そうなる気持ちもまたよくわかる)、福島はほんとどうなるんだろう。
考えるだけで苦しくなる。
南相馬市で作業が終わった後、一緒に活動した方のご好意で福島駅まで車で送っていただいた。
その方は飯館村出身の方で、今は福島駅の近くで避難生活をされている。
飯館村は、知ってる人も多いだろうけど非常に放射線量が高く、今その村に戻っている人も、その方から聞いたら10人くらいしかいないとのこと。
人口6000人ほどらしいんだけど、所有面積は南相馬市に匹敵するくらい広い。
そのほとんが山だから除染するのも難しい。
その方からいろいろと話を聞いていたら、また自分の考え方も変わっていくような気がした。
言い換えると、より混乱することになった。
よく原子力村とかって言われている場所では、原発を誘致する代わりに税金を軽減してもらえたり、交付税的な物をたくさんもらえたりと、原発を受け入れることでアメがもらえるという構図があるっていわれている。
仕事もそこで増える。危険そうなものを(けれど絶対安全だと言われていた)受け入れる代わりに、豊かさを手に入れられるというのが原発という存在の別の側面でもある。
けれど、飯館村というところは、直接その原発の恩恵を受け取ってはいなかった地域だそうだ。
仕事で原発で働いていた人は居たかもしれないけれど(これは聞いてないからわからないけれど)、少なくとも税金減額とか、金の支給とかはなかったらしい。
それなのに、あの爆発が起きたときの風向きがたまたま飯館村の方向を向いていた。
だから、もの凄い量の放射能がその場所に降り積もることになってしまった。
それだけで、もう家に帰ることができなくなってしまった。
実際、震災のときにはその土地の地盤の堅さのおかげで家が崩壊したとかはないらしく、山なので津波の被害もないので、まさか自分たちが家に住めなくなるなんて思ってもなかったと言っていた。
たまたまのあの瞬間の風向きが、こういう結果の要因の一個になっているのが、天災なのか人災なのか(政府の原発への対処の遅れが今の結果を生んでいるという批判もあった)、また釈然としないもやもやとしたものを沸き上がらせる。
俺が屋内作業した場所は、原発から10キロくらいのところだったらしいんだけど、一緒に作業していた方が量ったガイガーカウンター上では0.5マイクロシーベルトぐらいだったらしい。
それに対して30キロ圏外の飯館村は1.5~6ぐらいらしい。
もう直で話聞いていたら、頭が下がるおもいでいっぱいになった。
そんだけ過酷な状況で、よく他の町のボランティアとかできるなと、「ほんとすごいっすね、、」としか俺は言えなかったんだけど、「もう体動かさなきゃやってらんないんだよ」っていいながら夜勤明けでボランティアして充血してる目で笑ってるその人の姿勢に、自分が痛くなった。
痛い。
どこまでが俺が個人としてやるべきところなのか。
善意でやるべきところはどこまでなのか。
俺は気持ちよくなりたいだけなのか。
それもある。
断じてそうではないと言い切れるほど善人ではないのは確かだ。
作業の後の風呂も最高だし。
だけれどもどう考えようが、行動は、結果として残るので(それが善いのか悪いのかという判定を超えて)、思い立ったら手伝いにいくということは間違いではないと、帰り道に結論づけた(そう思わなければもう手伝いにさえ行けなくなりそうで嫌になる)
1日がえらく長かった。
今住んでいる自分たちの町が、あの町と地続きで繋がっている。
テレビやネットのなかにあるのではなく、現実に、地面の延長で繋がっている。
いつ自分の町が、同じような状況になるのかもわからない。
福井のトラブル原発、高速増殖炉「もんじゅ」
これが爆発したら、俺の町も想定被爆圏内に入っている。
ずっと暴走を続けている兵器のような(プルトニウム爆弾とか言われてる)原発だ。
つかってる燃料のMOXってやつが相当やばいらしい。
他人事の世界ではないのだ。
よくよく、繋がっているということを感じたのでした。
YES.odakaku/hozzy