フェキム2。

前回面白かったので、また新しいコメントにレスポンスします。

興味ない方々は、今日もゴメンナサイ、、、。

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>hozzyのコラムに。

 一応、ベルクソンの純粋記憶、西田幾多郎の純粋経験を齧ったというか、掠ってみましたので、なんとなく、hozzyの言いたい「意識」なんとなくわかる気がしますが、合っているのか分からないので、、聞きたいのです。
 そして、意識があるなら当然、無意識があるはずで、その曖昧な境界についてと、それをどのように、脳の効果として捉えていくのかについて。
もうひとつ、アメーバの一種粘菌についての意識の捉え方について。。 多いのですが聞いてもらえないでしょうか。

「意識」
意識の連続は経験だったり、記憶になりますよね? 
 例えば、、ヒトは行動するとき、(無意識から意識への連続的な流れの中から)それまでの記憶や経験がありながら、それとは別に、非連続的な現在の意識があって、行動する。
その行動が経験、もしくは記憶になり積み重なって、今この瞬間の「現在」の行動に繋がる。

つまり、非連続の連続の中にヒトの意識はある。と考えていいのでしょうか。

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ここまでいくと、もう今まで通りの表記方法では間に合わなくなってくるので、俺が指したい意識の根源的な状態を「フェキム」って適当にこないだ書いたけど笑、これを使用させてもらいます。
どんどん厳密に言うと、「意識」という言葉では、もう伝えきれない次元の話に突入していくので、それでいかせてください(日本語にはフェキムに相当する一般名詞が存在しないので、、、。そして俺が考えるフェキムは西田幾多郎の「場所」とも少し違う部分があると思ってます。俺の西田理解が足りていれば笑。難しいんだよなぁ)

非連続の連続の中に人の意識(フェキム)があるのではなく、意識(フェキム)=非連続の連続と俺は考えています。
つまりフェキムは非連続の連続という様態をとっている。

フェキムは非連続の連続であり、その非連続の連続(これはすなわち意識活動というかフェキム活動、拡張すれば生きているといこと、生-活しているということ)の中から、物事を概念化して把握する人間特有の作用がおこって、いわゆる我々が持っているといわれる、一般名詞的な「意識」が把握されると考えます。
分かりづらいよね笑。

前回も書いたけど、「意識」ってものも概念だっていったけど、フェキム(これも厳密に言えば俺が規定している概念だが笑)がそれを可能にしている作用を起こしていると。

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 無意識という言葉にひっかかってるのかもしれませんが、意識がある=脳の電気的な伝導があるとすれば、
脳死=無意識なのでしょうか?
普段使っている、無意識にはこんな状態もあると思うのですが、、それは、境目なのでしょうか。

 例えば「ピアニストの人が、凄く手慣れている曲を弾いてる」とするとき、その人のその時の意識は、鍵盤を弾くとか、どうするとか、考えている状態ではなく、流れるように弾いてますよね。ボーっと。
これは意識と無意識の境目にあると思うのですが、どうでしょう?

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まず、無意識という概念がものすごく幅広いので、区切って考えてみます。

1よく精神分析とかででてくる「無意識」って言葉。
はっきり言って、俺は精神分析自体にそんなに興味が持てなく、、、思想的に共感できる部分が少ないため(その思想の展開の仕方、例えばユングとか、その発想法自体には興味は尽きないところはあるけれど)この分野の無意識ってやつが実際に人間の現在にどんな風に作用しているのかってことはわからないです。
この場合の深層心理的な意味合いの「無意識」ってのは、主に治療とか、実地的な目的で考案されてきたものだと思うので、医学とか、科学的な方向からの、けれどもそれが本当に正しいのか立証不可能な(なにしろ現実に表れてはいない状態の意識についての概念なので)、もどかしく俺は感じてしまい自分の哲学の方向への考えには取り入れてません(夢とか集合的無意識とかシンクロニシティとか、そういう考えはとても面白くて好きだけど笑)
今、俺が問題にしている意識(フェキム)とは、交差しそうでしない(出発点も目的地も違う)ものだと思っているので、この分野の「無意識」に関してはまず排除します。
俺の意識(フェキム)は哲学的な方向からの問題、精神分析学の意識は、あくまで科学的な方向から(無意識というものからの現実への症例をパターン分析して結論を得ているのだろうから)の問題だと解釈しています。
あんま詳しく入ったことがないので「違うよ!」って場合は、すいません。
ただ、目的地が違うというのは間違いないと思っているので、省かせてもらいますね。

2、ボーっとしている時、無我夢中になっているときの「無意識」について。
こっちの無意識の方が、精神分析のやつよりも現実的に把握できていいね笑。
これは精神分析の無意識とは違うってのは、よろしいでしょうか。
いうなれば、精神分析の無意識よりも、一歩手前の次元、もっと現実的な(この無意識も言語表明化されている時点で概念化されているけれど)一段階、現実に近い無意識って感じかな。
精神分析の「無意識」が現実の意識状態から遡行して学術的に推定されてゆくのに対して、こっちの無意識はほんとに俺たちが実感できる無意識だということ。
無意識に「お茶を汲んでいた」とか。
5分のつもりが気がついたら熱中しすぎてて1時間たっていた、とか。
そして、ここに、この「ぼーっとしている」とか、例に出してくれたピアニストの話もそうだけど流れるように鍵盤を叩くその時の思考が入り込まない状態(ライブ中俺も常にこの状態になっていたらいいんだけどね、、、笑。なかなか難しい)ってところに、俺の言いたいフェキムが近いところにある(現実的に「ある」わけではないのだけれど、、、ここもわかりづらくて申し訳ない。いずれちゃんと説明します)と思ってます。
ただ、この「無意識」も「意識」同様、フェキムによって定立、理解されていると。
ふと我に返るのが、フェキムの作用だと。
のちのちもっと詳しく書いていくけど、フェキムは場所であって場所でない(この点は西田幾多郎の場所理論そのものです)、「効果そのもの」であると、考えています。

3、そして、「脳死」は無意識なのかということだけれども、それは死んでみないと俺もわからないです笑。お医者さんが「脳死」と判断した時点で、その方の意識があるのか、ないのかは、もう外からはわからないことかなと、、、、。ただ、ここまで書いてこなかったけれど、俺は、「脳死」した時点で死んでると判断するのはいかがなものかと思ってはいます。自分が死ぬとき、できることならば笑、完全に全細胞が死ぬまで放っておいて欲しい、、。そしてこれはおれ個人の考えだけれど、臓器提供は、家族以外には絶対にしたくないです。それで助かる誰かの命があるのかもしれないけれど、俺は、この体は死んだあとも、灰になるまで自分のものとして所有していたい。

で、俺の現時点でのこの話の最終的に落ち着けたい結論的なものを、もう先取りしちゃって今漏らすならば(おそらくまったく繋がらないと感じるでしょうが)、

フェキムは、科学的に見るならば、脳の中の効果ということだけでなく、全身から発生されているはずだ。そして、もっと現象学的視点(思考を混ぜないみたままの世界に立ち現れる意識の状態)にたつならば、フェキムはこの世界そのものを生んでいると、考えている。

なので、脳幹うんぬんではなく、全身に意識はあると思っている(奇書と呼ばれる小説のドグラマグラにもこんな記述がある、、、、)

、、、、、よけい混乱させてしまうでしょうか。

この考えを、展開していくには、更に長い文章を書いていかなくてはいけないし、まだちゃんと繋がっていない部分もあるので(けれど最近それがつなげられそうな予感がしている)、もっと時間がかかりそうだ。

ただ「効果」とフェキムの関係については、もう考えがまとまっているので今度ちゃんと書きたいと思います。

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粘菌(アメーバの一種)についての解釈。
 粘菌の一種には飢餓状態や、胞子を撒く際、集団で動くものがあります。
この前テレビでみたのは、人間の作った難解な迷路を、餌を取るためなら、人間(芸人さん)が解くより速く、また正確に最短距離で解けるのです。
それが、都市の電車網や、難解なヒトのマクロな問題を解決するために応用されているといった話でした。

これを意識という概念で解釈する場合、どう迷路を解いているのでしょう?電気的な効果は移動する際、細胞質流動で微量ながら起こるとは、思うのですが、、よくわかりません(笑)

hozzyはどう考えてますか?

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これね、すごいよね笑。
粘菌てなんだべないったい。
俺にはわかりません笑。

宮崎駿監督が粘菌に詳しかった気がする。
ナウシカの、コミック版で粘菌がもの凄く活動的に描かれていた。

前回とか、アメーバを引き合いに出したりして論点をずらしてしまったそもそもの俺の選択が間違っていたんですが、ここまでこの意識「フェキム」の概要をもし理解していただけたのなら、俺がずっと書いてきたこの意識の本質的論点は、あくまで人間の意識、フェキム、を問題にして、人間の脳の中の電気効果(さらにこれから展開する予定ですが、全身の電気効果)に関連づけることが、俺の目的でした。なので、アメーバや、他の動物たちの、意識は問題にそもそもできないのです。
なぜなら、俺は人間だからです。
人間以外の意識を、本質的に(哲学的に)ピンポイントで展開することは不可能だと考えているからです(科学的に、客観的に理解することはもちろん可能です!)
人間の意識との比較で取り入れることは可能ですが、フェキムとは本質的に違うものだと考えます。

なので、粘菌に関しては、たぶんだけど人間の言う本能の部分の優れた力なんじゃないでしょうか、、、。もはや「フェキム」を分離してこのコラムでは概念化しているので、粘菌の「意識」がその行動をなしていると言ってもかまわないのかな、、、。

ここまで書いて、
「なんて他の生物に対して冷たい考え方なんだろう!」
て思われることもあるかと思いますが、人間の意識の問題はもっと淡々と、きっと俺の書き方なんてずっと甘いくらい厳密に書かなくてはほんとはいけないんだと思う。

そして、この意識の展開を離れれば、

生き物の素晴らしさをいくら褒め称えてもかまわないわけでもあります。

だって俺、生き物飼いまくってるしな笑。
大好きだし、今の考えとの比較として、その行動様式とかを見比べることも意義があることだと思ってます。

ただ、話が違うってことさ。

って感じで、もう反応しないかもしれないけれど、また反応しちゃうかも笑。

あんまやるとこういう固いの興味ない人には苦痛になるだろうけど、今そういう周期なのでつまらない場合はぽーんと飛ばしちゃってください、、、、。

すいませんです。

YES.Jung

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