焦げ臭い起動音。
むむ。
WINDOWS、やっぱり操作性がいい。
昨日、ちょっとディスったことを反省する。
しかもなんか逆にあの文字のドット丸出し感が、久々に見るとレトロに見える。
いいじゃないか。
しかも起動速度もえらい早い。アプリケーションの立ち上がりが今使ってるMacと大差ない。
メモリは今のPCに比べるとくっそ貧弱なままだけど(メモリ増設してみようかな)
ユウイチ相当スペック高いCPU入れてくれてたっぽい笑、当時はよくわかってなかったけど。
そんな感じで、Macに入ってないWORDもWINDOWSの方には入れてたから、文字まとめて打つときとかはこっちのpc使おうかなって思ってしまった。
いまだにMACじゃ起動しないアプリもあるからなあ。
、、、、、、、って、今日はやたらと横文字を文に突っ込んでみた。
ぽいだろ、知ってる奴っぽいだろ。
けど言ってることはたいしたことない笑。
ちなみにこのwinのPCのは、当時暇だったときにペンキで外装を塗ってる。
モニターもアイボリーに塗ってる。
そんなことpcにしてもいいもんなのかよくわからないけど、数年後もこうして使えてるってことはやってもいいんだね。
気に入らない外装のものは自分で塗ってしまえばいいよ。
楽しいし。
そして今日も最終的に思うことは、
「心」と呼ばれるものは、演繹なのか総合なのかということ。
「いやいや、どっちでもあるんじゃね?」
という矛盾の意味を考えなくてならない。
「発生源」というには、あまりにも「名詞」的すぎる。
日本語の範疇に収めるならば、最低でも「動詞」に置かなくてはならない。
心は動詞。
名詞ではない。
YES.tina/hozzy