見ろよ町の排気ガスの向こうで。
よく車が好きな人とかで、古いやつにあえて乗ってる人なんかが
「今日はこいつご機嫌だな」
とか
「今日はすねてやがる」
とか、
なかなかこんなべたなこと言う人には直接あわないけど笑、イメージとしてなんかあるじゃん。
まるで生きている本物の相棒のようにマシンに愛情を注いでいる。
残念ながら、俺は車には興味がない人間なのでそのテンションにはなりづらいけれど、その気持ちはよくわかる。
自分ももう4年ぐらい一本のペットボトルを愛用している。
水槽の水換えとか、蒸発した分のみず足しとか、植物のみずやりとか、夏にはベランダの打ち水とかに使っている。
なんか、これじゃなきゃやなんだよ。ってやつがなぜか一本だけある。
ただの鏡月の空きボトルなんだけど笑。
まあこれと一緒にしてしまったら車好きの人には失礼だけれど、なんか愛情を物にもつってよくわかる(俺の場合は愛着か)
で、実際に車にも心があるんじゃないかって思うときがある。
古ければふるいだけ。
物に心が宿るって、九十九神ってやつが昔からあるけど、時間が経つ程心をもつ可能性ってあがるんじゃないか。
その理由は電気だ。
激しく、もしくは長く電気的な特性を持つところに、心に似た意識空間ができあがるって、俺思ってる。
かなりオカルティックだが笑、なんかそう思ってる。
人間も電気反応で体を動かしているのは周知の通り。
神経を通る電気信号が、指を動かし、鼓動を早くしたりするって、なってるよね?
そこの「電気が流れること」に伴う副産物が心なんじゃないかって思ってんだ。
まあその論拠は、いつか細かく考えていくとして、その考えに沿っていくと、車にも心ないし、意識みたいな物が生まれていてもおかしくはない。
論拠もはっきりしないのに、進めることはできない話だけれども、大事にした物って、やっぱこっちと反応し合うじゃないですか。
その反応ってこっち側だけの勝手な思い込みだけじゃあ成立しないと思うんだよね。
物もこっちに反応してくれるから、こっちも反応できるんじゃないのかな。
俺の愛用ペットボトルは、きっとウマがあうんんだ。
やつにも、微弱な電気信号がたえず流れている。
原子レベルで見るならば必ず。
それのなんかが、俺の原子と反応しているんじゃなかろうか。
持ったときに、しっくりくるんだよやっぱ。
神社とか、いわゆるパワースポットとかも、長年の一定的な帯電で、もともとが微弱だった意識空間が、更なる帯電を呼び込む働きを続けて、電気的性質を強化or質の変化をし、その場所ならではの空気感を発する場所に変わっていったのではないか、、、、。
なんて真面目に書いたらヤヴァイな笑。
けど、御神木とかって、若木じゃ絶対なれないじゃない。
長い年月を生きた木じゃないと御神木になれない理由はなんなんだって考えたら、電気に触れた時間の多さなんじゃ、、、、、って思ったのだ。
寺にはあんま興味ないけど、神社は行くと異次元感があって面白い。
なんか練られた意識がそこにあるきがする。
それすなわち電気的な作用=意識がそこにある気がする。
イギリスのストーンサークルって、有名なパワースポットで電気の計器の針が振れまくってる映像をいつだか見たし。
たいていそういう不思議な遺跡では磁場が狂ってたりするらしい。
磁場が狂うと、電気も狂う。
逆言うと、電気が狂えば、磁場が狂う。
今日は、ムー感たっぷりの文章になった笑。
電子部品と、神社が俺の中でつながってる。
この感じは、人間の内面にもつながってる気がする。
戯れ言だと思ってください笑。
おやすみ。
YES.PET/hozzy