重い、瞼の裏から。
なんか決まらなかった覚悟を、もう一回、もう何回でも決めつけなけりゃならないとこにいるってウイスキーが言っている。
もうそりゃしょうがねえな、ウイスキーが言ってるなら。
俺、ほんとに嫌な奴になるんだよなこうなると。
もうとっくに嫌な奴だけどよ!
とりあえず全てを否定するところから始まる感触を愛しながら、その先をフロートする表現が好きだ。
もう駄目。
哲学の本なんて、もう2年ぐらい読んでない。
震災が来てから、一回もページ開いてない。
だって、何の役にも立たたなかったんだもん。
カントの「アプリオリ」が、あの瞬間に、アプリオリに空間時間から消滅してた。
んでよ、ほんとに揺れがこっちの首都中心だったら、死んでたかもしれない。
失ってたかもしれない。
んで、結局存在を追求してた自分は、津波があった現場で腐った魚の山の前で現実的な激臭に耐えるほかなかった。
なんぞや、なんぞや、なんぞや!と、あぐらをかいて日の沈む世界に憂いを投げかけて、知らぬ存ぜぬの世界を見下して、優越感に浸っていただけなのかもしれない。
ぶっちゃけ天にものぼる気分になったこともあった。
「俺はわかったぞ、えらいんだぞ、ひゃっほー」ってよ。
疑問がつきる事はないが、俺が知りたい事はたぶん本では完結できないことだ。
「あっそう」
ってことなんだよね結局。
哲学の根本的な不完全さに気づいちまったよ。
「おはようございます」
「おはようございます」
この朝の会話の本当に純粋な瞬間に、哲学の余地はなく、ただ意識の交流があるのみ、、、。
「おはようございます」
分析はいくらでもできるが、その価値を定義するにんげんは多分結果的に間違ってしまう罠に強制的にはまる。
知識を得るのは、はっきり言って簡単ではないけれど努力すればできる。
けど、んなもんやっぱさ。
たいしたことねえんだな。
酔ってるから、許してね。
ぼええええええええええええええええええええ。
YES,philosophy/hozzy