少し引いて前屈みに文を読む。

少し引いて前屈みに文を読む。

哲学をやる余裕がちょっとでてきた。
余裕がなきゃ哲学なんてのはできない。
日々めまぐるしく生活する、もしくは破壊された生活を再生させるために必死に生きる人たちに、哲学なんて必要もなく、遠い銀河のカスの塵みたいなものだ。
ギリシアで発生したフィロソフィーが、奴隷制度の上に発展して行った経緯がそれを物語っている。
働かなくて良い、安全な時間の中、雲と空の色のコントラストに安らぎながら焦燥を感じ、生を思考する事に更なる意義を、使命を勝手に感じ、少ない共同体のなかでも限定的に高度な、現実以上の価値を与えられる許諾、それを許された資格がある人物が喚き呻いて人々につばを飛ばして自論を展開してこそ、その時間があってこそ、哲学は発展する。
比較的経済的に許された暇人であり、周りに学術的に一目置かれた若者ほど、その思考に、生活を落とし込む資格を有する。
そんな病的な牢屋に閉じこもりたがる人間に、天才が入り込む事なんてごくごく稀だ。
この無限のテクノロジー文明の中にあってはさらにその牢屋にわざわざ閉じこもる天才バカボンはいない。
ものすごく多岐に渡って思想が展開している。
展開しすぎていて誰が「誰」か、そんなことさえよくなってしまっている。
名前に意味があるだろうか?
匿名のまとめサイトのほうがブルっちゃうときもある。

哲学!
もう現代では、無用の長物となってしまっているが、それもそんな条件があると知れば納得がいく。

でもね、俺はやっぱ好きよ。
よくわかんねー日本語訳を乗り越えて海外の人間の思考に触れるのは面白い。

機械を今毎日いじれるのは、哲学に論理的思考の訓練を義務教育時代よりも厳しく仕込まれたからだと思う。
1から2へ。2から3へ。
この地道な作業を、音楽やっていながら平行に哲学に強制的に訓練され続けた。
「このくそ野郎、バカかお前は、1の次はなんだ?!2だろうがボケ!」
「順序を追って、憶測をするな。お前のなんとなくは、彼の表現には続かない。ちゃんと読め、しかし感じろ」
こんなのが哲学との毎日だった。

はっきりいって強制的とかいって、自分で勝手にそうしてただけだけどたのしかったんだよ。
合ってんのかはわかんねーけど。
そんなもんだろう。
書いてる奴だってわかっちゃいねーんじゃねーかって笑、思うときもあるし。
訳す人は特に大変だろう。
ほとんど意味わかんねーもん。日本語なのに、、、、。


文鳥が前よりも近くなって、俺を本気でパートナーだと思っている。

舌打ちすると返事をする。
うまく言えないけど、ちょっとした感情の交流ができるようになったよマジ。
笑ってもいいけど。

YES.dack/hozzy

hozzy