2010のものたち。
あけましておめでとうございます!
まだ初詣も行ってないのですが、、、今年もヨロシクお願いします!
どたばたすぎて年が越した実感も未だなし、、、、。
しかし、去年は表立って目立った行動が少なかった分(リリースもシングル1枚だけ、、)、今度でる「伝言」に続けてぽんぽんいけるよう一同頑張りマース。
藍坊主を今年もよろしくお願いします!
YES.torachan/hozzy
あけましておめでとうございます!
まだ初詣も行ってないのですが、、、今年もヨロシクお願いします!
どたばたすぎて年が越した実感も未だなし、、、、。
しかし、去年は表立って目立った行動が少なかった分(リリースもシングル1枚だけ、、)、今度でる「伝言」に続けてぽんぽんいけるよう一同頑張りマース。
藍坊主を今年もよろしくお願いします!
YES.torachan/hozzy
「さよなら扇風機」というタイトルでコラムを書いた時(9/24)、電線に関しての疑問を書いていたのですが、、、、、↓
『送電線の鉄塔から、次の送電線の鉄塔まで一体どうやって電線をつないでるんだろう?とか、、、。
うちから見える鉄塔、もの凄い高い所にあるのに、一体どうやってアレつなげてるんだろう。すげー疑問。
クレーンじゃまず無理そうだし(五階建てのうちのベランダから見てもずっと高い所に電線がぶら下がってる。しかも鉄塔と鉄塔の間はざっと1キロくらいあるんじゃないかな)、かといって人がよじ上って電線を通すには重量がありすぎるだろうし(風がふいたら飛んでくね。人が)、かといってヘリコプターかなんかで工事してる所なんてみたことないし。
メンテナンスとかどうしてるんだろう。夜中にこっそり巨人が働いてるとかだったら納得できるけど』
、、、メンテナンスに関して、ついに答えを目撃してしまいました、、、、。
度肝を抜かれた(写真参照のこと、、)。
職人さんてすげー、、、。
YES.tokyodenryoku/hozzy
それから約一時間、テーブルに額を押し付けて自分の人生について考えてしまった。
時々訪れるひどい吐き気を押しとどめながら、ようやく乾いた鼻水に、深い意味を感じていた。
「お客様、ご気分がまだ優れないようですが、さっぱりしたものをお持ちいたしましょうか?」
「いや、結構。もう少しこのままにさせてくれ」
「かしこまりました」
深くお辞儀をして、タフガイのボーイは一分の隙もなく上品にまた奥に引っ込んでいった。
彼は見かけによらず繊細な心を持っているようだ。
しかし、そんなノーマルさはここではクソの足しにもならない。
むしろマイナス点である。
私はそんなもの甘ったるいものを求めてここにきたわけではない!
馬鹿め。
もっと場にあった品位ある行動を取らなくては駄目だ、小僧、、、。
ここは単なるクソだめだろう?
とんでもないもんを俺は食いてーだけなんだよ。
「ヘイ、やっぱり一つくれ。くさやとブルーチーズのミックスジュースを頼む」
「、、、、ポセイドンですね。かしこまりました」
柔らかな彼の微笑がやはり鬱陶しかった。
私が原因なのか、それとも彼なのか。
雰囲気とは、実に機微なるものである、、、、。
冷たかったテーブルが私の額を受けてすっかりぬるくなった。
まるで私の人生そのものである。
どこへ向かって、歩いてきたのだろう?
ゴミのような顔色をした斜め右に座っている女の眼球に、無言の質問を反射させた。
跳ね返ってきた答えは、もちろん濁った沈黙である。
そもそもこんな洒落た問題は、私のような矮小な人間の考える事ではないのかもしれないが。
しかしどうにもこうにも乾く事を知らない私の鼓動は、確かに、さも意味のある事かのようにトクトクと鳴り続けてきたのではないか。
何度もその音に、疑いようのない肯定を、遠回しにでも与えてきたのではないか?
誰も答えてはくれないその問いに、私だけが答えることができるのではないか??
私の欠けた左の前歯。
いつからかそこに、答えを灯す空間を見続けていたように思うのだ。
YES.body/hozzy
遅れましたが大東文化大学、大谷大学、工学院大学、宇都宮大学の皆さん、見に来てくれたお客さん、本当にどうもありがとうございました。
どの場所も待ち時間から帰る時まで最高の時間が過ごせました。
すげえ楽しかったです。
そして今回学園祭でサポートキーボードで参加してくれた高山さん、もう何年も一緒にいるかのように俺らのチームにどっぷりとけ込んでくれて笑、最後の方はタクロウとの掛け合いも満載師のごとく息がぴったりで最高でした笑。
最後の宇都宮のライブの時は、やっぱ寂しくなっちゃったなー。
けどまた一緒にできる機会も絶対来ると信じているので、少しでもスケールアップして今度高山さんに会えるように頑張りたいと思います。ありがとうございました!
そして、今月の18日は久しぶりの完全ワンマンライブ。
何が出るのかは皆さん来てからのお楽しみという事で(もの凄い期待されたらちょっと困るけど笑)、少なくとも「来て本当に良かった!」と思ってもらえるような、俺らも「やっちゃったね~!」とうまいビールが飲めるようないい時間を作り上げられるように頑張りますんで、一緒に楽しんじゃおうぜー。
楽しいよ絶対。
そしてこの日は百景ツアー以来久々、サポートキーボーディストはシーガループのツタさん。
いい雰囲気を間違いなく作ってくれるゼ。
そういや俺ずっと「学園祭」のことを「文化祭」ってライブ中のMCで言ってたけど、文化祭って高校とかでやるやつのことらしいですね笑。
まあいいですよね、このくらいはね、なんたって祭りだったんだからね。
学園祭サイコー笑!
YES.wakasan/hozzy
なにやら厨房の方が騒がしい。
ここは有名な珍味料理店。
古今東西いろいろなキワモノ料理がそろっている。
うまい物に飽き飽きしまった私の五感は、もはやこんな奇妙な場所にまで私の精神を連れて行ってしまう。
店の看板に名前は無い。
仄暗い裏路地の、更に湿った地下の角。
立派な口ヒゲを蓄えたインド人風の男が(ターバンを巻いている)腕を組みながらすらっと立っている。
彼はいつも笑わない。
ろうそくほどの薄明かりのもと、恭しく料理が運ばれてきた。
南京虫のビール漬けである。
ゆっくりと口に運ぶ。
苦みが利いていて非常によろしい。
まさに苦虫をかみつぶすとは、このことをいうのであろう。
絶妙な情感に息苦しくなった。
悶々と舌を踏みにじるようなこの「苦み」という刺激が人の道徳心に、歴史に、成長を与えてきたのだ。
「痛み」ではなく「苦み」
心と向き合う余裕を残した責め苦である。
私は一筋涙をこぼした。
続いて、一式の器具と素材が運ばれてきた。
スポイト、すり潰し機、ボール、猿ぐつわ、アイマスク。
にんにく、納豆、カメムシ、スカンクの肛門嚢、ミント。
アメリカ人風のボーイに(やたらタフガイ)「セッティングいたしましょうか?」と流暢な日本語で尋ねられたが、断った。
自分でやるのが本物の通である。
まずすり潰し機で素材を丹念に砕いていく。
新鮮な(虫に関してはいつもここの店は生きたままだ)食材をアレンジしていくのはプロならずとも素人にとっても十分に快感な作業である。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、丁寧に全ての素材をすり潰していく。
この時点で、もの凄い臭気に私の全身は包まれているが、こんなものではないのだ。私が求める「匂い」という物は。
十分に液状化した素材たちを一滴残らずボールで混ぜ合わせる。
いい色だ。
涙をこらえて、きつく猿ぐつわをくわえる。
言葉はもうでない。
スポイトで液状化した料理を慈しむように吸い上げる。
アイマスクをを装着して鼻から息を吸って、ぎりぎりまで深く吐ききる。
そして鼻腔にスポイトを挿入し、一気に料理を流し込む。
およそ30分間、悶絶を続ける。
吐く息は臭く、吸う空気も臭かった。
涙はあふれ続け、何のために涙が流れるのか解らなくなった。
YES.spuit/hozzy
昨日のライブは個人的にとても感傷的な気分になりました。
駄目な意味じゃなくてとてもいい意味で。
東洋英和のみなさんありがとうございました。
札幌大学、広島国際大学、高千穂大学の皆さんもまだここでお礼言ってなかった、、、、ありがとうございました!
どこの文化祭もここまで最高のもてなしに、申し訳なくなってしまうくらい素敵な想いをさせていただきました。
下手なおとなよりずっと礼儀正しいですよね、皆さん、、、、。
そのまま変わらないアナタでいて下さい、、、、最高です。
東洋英和女学院大学、その存在は19歳の頃から私よく存じておりました。
当時、青葉台という町の辺境にへばり付くように住んでいたのですが、その町から割と近い所にある大学でした。
勿論私は男ですから、その大学に立ち入る事は恐ろしくてできなかったんですが笑、何やら素敵なお嬢さん方がたくさんおられるという噂だけはよくきいていました。
悶々とする19歳男子には、女子大学とは天使の輪っかみたいに輝かしいものであります。
しかも「素敵」と来たもんだ。
退廃的な日々を送っていた私も、微かな花の香りをたぐるように、その響きを目線でじっと追っていたように思います、、、、(野郎とはかっこつけていてもそういうもんであります、、、、)
つまり香しいお花畑的イメージがあったわけであります。
それはそれはオアシス的であります。
自分は妄想レベルが高い瞬間が多々ありますので、特にそんなイメージを持っておりました。
実際、今回ライブで乗り込んでみると、、、、、、、
、、、、なーんて礼儀正しくて素敵なお嬢さんばかりなんだろう、、、、、って、
まさにイメージ通りの学生スタッフさんたちが、そこにおったわけです、、、。
俺の妄想は間違いじゃなかった、、、笑。
おれがあと8歳若かったら、恋をしてしまったかもしれません、、、、、(そして振られて青葉台の町を夜な夜な徘徊する事になったことでしょう、、、そんな青春が俺は好き、、、)
つー感じで笑、多少デフォルメしすぎた感はありますが、まさかそんな当時の謎の楽園?でライブできる日が来ようとは思ってませんでした笑。
その頃最高にひねくれてたしね、ぼくちんはね。
「青葉台の夜」歌詞間違えちゃったけど笑、歌えて良かったです。
くそったれな青春は、必ずしもクソに繋がるわけではない。
クソはクソではない。
kuso is not a kuso.
あのタコ部屋みたいなマイルームで音楽諦めなくて良かったです。
ありがとうございました。
YES.aobadai/hozzy
句点が打てない。
読点を打ち続けながら、ふらふら浮ついてる感じがする。
なかなかね、作業に終わりが見えない。
そうすると吸収もできない。
同時に二つ以上の事を本気でできる人が俺は羨ましい。
つーか尊敬する。
俺全然だめですねん。
本読んでも、音楽聴いても、なんか中途半端になってしまう。
のめり込めない。
だから中途半端にモンハン(モンスターハンター。ゲームです)とかまたやっちゃってたら、いつの間にか仲間が増えた笑。
ユウイチとタクロウ。
買っちゃったねー。
ずっと独りで愚直にモンスターを狩りし続けてきた我が輩のキャラクター。
独りじゃ倒しきれない馬鹿みたいにでかいモンスターに何度ぼろくそにされたことだろう、、、、。
しかし彼らが仲間に加われば、近いうちにその馬鹿者をぶっ倒せるだろう。
君はもう、独りじゃないよ、、、、。
グッバイ、ロンリーハート、、、。
とか言って。
結局独りで未だに狩りにいく事の方が多い笑。
メンバーといる時はそんな遊んでる暇はなかなかないからね!
仕事しなきゃね!
つーことで最近文化祭ライブが目白押しですが、すげえたのしいです。
ありがとうございます。
とても新鮮な気分にさせてもらえます。
曲作んの俺大好きだけど、さすがに毎日パン食ってたら、白飯食いたくなるッス。
梅干し茶漬けとか、洋食圏の中で食ったら最高でしょ。
そんな感じでライブが続いていきますが、年末のイベントも含めて間違いなく最高でしょう。
たのしみ。
そして、お茶漬け食いたくなってきた笑。
YES.rioreusu/hozzy
お元気ですか?
こっちは元気です!
ここ数日、また一曲ぶんの歌詞をずっと練ってたんだけど、ようやく気に入ったフォーマットができた。
コラムで文章書くのってある意味もったいないから(俺の場合は特に。無駄な浪費と言ってもいい文ばかりだし)作詞に集中してる時は特に、文章を書かないようにしてます。。。
ほんとは酔っぱらってどばどば垂れ流すように書きたいんだけどね!
なんたってキャパシティーが狭いからね!
って感じでご無沙汰してましたが、何より不思議に思う物事がまた浮上したんで聞いて下さいな。
歌詞書いてて思ったんだけど、「夢」って言葉あるじゃありませんか?
これって、大きく分けて二つ意味があるじゃないですか?
夢を見る(希望を見る)
と
夢を見る(本当に眠って夢を見る)
これって、別に取り立ててびっくりするようなことじゃないんだけれども、英語と対比させた時に頭をひねらざるを得んのですよ。
dream(希望を見る)
と
dream(本当に眠って夢を見る)
、、、おかしい、、、、。
この日本語と英語がまったく同じように、一つの言葉を二つの別の意味で使ってるってすごくない?
別に?って感じですか笑?
俺すげーと思うんだよコレ!!
だって、もともと全然違うことじゃん!
希望を見るってことと(厳密には希望を見るって感覚は「夢を見る」とは一緒じゃないと思うけど)、眠って夢を見るってことって。
それが遠く離れた異国同士で、同じように同じ言葉から別の意味を引き出して使うって凄い確率だと思いませんか?
眠って非現実的なものを見る→非現実的なものごとの実現を未来に見る→だから「夢」を両方の表現として適用しよう!
って、そう簡単に思考がまとまるものなのかな。言語も文化も精神性も違う遠い国同士が意見交換も無く自然発生的に!?
あるいは、日本語が英語に影響を受けてその意味の両義性を後天的に付け加えたとか?
逆もまた然りって感じですか?
そんなことあったのかな、、、。
しっかり調べてはないんだけど、つーかメンドクサイから調べるつもりも無いんだけど、歌詞書いてると不思議がわいてきて困る。
答えを探すほど今は暇ではないのである!
やることやんなきゃいけないのに、疑問は静かに増えていく。
送電線の鉄塔から、次の送電線の鉄塔まで一体どうやって電線をつないでるんだろう?とか、、、。
うちから見える鉄塔、もの凄い高い所にあるのに、一体どうやってアレつなげてるんだろう。すげー疑問。
クレーンじゃまず無理そうだし(五階建てのうちのベランダから見てもずっと高い所に電線がぶら下がってる。しかも鉄塔と鉄塔の間はざっと1キロくらいあるんじゃないかな)、かといって人がよじ上って電線を通すには重量がありすぎるだろうし(風がふいたら飛んでくね。人が)、かといってヘリコプターかなんかで工事してる所なんてみたことないし。
メンテナンスとかどうしてるんだろう。夜中にこっそり巨人が働いてるとかだたら納得できるけど。
あとポカリの成分表示がおかしい。
無果汁って思い切り書いてあるのに、成分表示にはしっかり果汁って書いてあんのよ。
これは理由をネットで調べたけど、変なの。
世の中はまだまだ謎だらけである。
YES.dream/hozzy
表現とはなんぞや、、、、。
また面倒くさいテーマではありますが、こういうのおじさん大好きなの。
ビールによく合うの。
まだおじさんって呼ばないでね。
27歳って小学生からしたらおじさんだよね。
けど心はまだ君たちとおんなじつもりだよ、、、、、、、、、無理だね、、、。
汚れてしまったね。
色々知ってしまったね。
けど僕の中の少年は永遠さ!
うふふ。
あはは。
アハハハは。
作曲作詞を始めてから12年。
干支が一周した。
小学校、中学校、高校の時間が終わった。
あと3周くらいしたらもっと明確な「表現論」的ながっちりしたものが出来上がるのかもしれないけど、
しらねえよそんなもん。
いやしかし、俺は前より進めた気がする。
表現がうまくなったとかそういうことではなくて、表現て何なのかが精神的な部分で前より明確に見えるようになった気がする。
俺ってとっても馬鹿だからさ。
自分で体感して納得できなければ誰が何言おうと心の底では完璧にそう思えないんだよね。思ってるんだけどモヤっと空虚な感じがしちゃうかんじ。
もちろん人の意見も聞く耳は持とうと思っているし、吸収できるものはたくさん取り入れる事ができるように常に心がけてはいるつもりなんだけど、
芯ってさ、なかなか変えられないじゃないですか。
特に自己愛が強い人間においては笑。
たとえどんなに感動する言葉や音楽を聴いたとしても、それでチェンジするのは結局表面に近いところだと思うんだよ。
それが芯に、本当に自分のパーソナリティに届く所まで押し進めるのはやっぱり自分自身にしかできない。
誰もが素晴らしい出来事に出会って、感動して、それで自分を心から変えられることができるんだったら、犯罪なんて起きないじゃん。
人を傷つけてしまうことなんてなくなるじゃん。
みんなハッピーに暮らせるじゃん。
実際そうじゃないじゃん。
感動や感銘って、凄い人間にとって大事な事なんだけど、やっぱりそのままじゃ弱いと思う。
感動しっぱなしの人間が素晴らしい人間かって言ったら違うやんか。
俺はそこんところの微妙な感覚に生まれてこのかた悩まされ続けてるわけです(おおげさねぇ)
でもそういうひと実はいっぱいいるんじゃない?
よくわかんないけどサ。
要は利巧じゃないんですよ。
だから素直にまっすぐ生きる事ができないんだと思うんです。
そして月を大好きになったりクラゲを愛したりするようになっちゃったりするんだよ(素直な人で両方好きな人、ゴメンナサイ)
こんな風に言葉にできるようになったって、たいした進歩だなー我ながら笑。ヘーイ!
「言わなくても解る」
大切な人や友達に、何も言わなくても大事な所は伝わってるでしょ、っておれずっと思って生きてきたの。
伝わってないのならそれは俺の思いがただ弱いだけ、芯にあるものがまだ薄いだけ、それをもっと濃厚に強く持つ事ができたのならきっと俺のこの思いは空気を越えて相手に伝わっていくはずだ80%くらいは。
ってずっと思ってたの。
それ、間違いじゃないけど、正しくもなかったんだなー。たはは。
言わなきゃ、わかんねーよ笑。
わからんのよ、人間だからさ俺たちは。
ちゃんと言わなきゃ、態度でしっかり表現しなきゃ、80%なんて高い比率、伝わるわけがないのね。
これが、表現だね。
そして俺は表現不足だね。
とんだ思い込み。
そして、それが納得できるとこまでわかるようになるのに随分の月日が経ったよ。
まあ、納得したからといってこれがすぐに俺の表現力に反映すると言ったら難しいとこではありますけれども。
俺も頑張っているんであります(しくしく)
こんな話、簡単に言ってしまえば、とっても当たり前のことなんだよね。
俺だってそんなこたあ解ってる。
何が正しいと言われ、何が大切だと言われているかは耳にタコができるくらい聞いてるしタコヤキが目に乗っちゃうくらい目にもしてる。
テレビや小説でもこの手のテーマは垂れ流し状態でんがな。
ただそんな言葉じゃ感動もしないし、感動したとしても、俺の芯には届かねーんだよ。
綺麗ごとにはもううんざりなんだよ、って思ってしまったりもするんだよ、、、、、だから嫌だね。
ああめんどくせえべ、こんなのね。
めんどくせえ笑。
そう、この感覚のうやむやさを払拭するべく、ここ数年いろいろトライしてみたりしたのです。
表現って何なのよ?
それは表現である。
こうね。
ピカソもモディリアーニもゴッホもモネも、表現をしてるわけで、それは芸術と呼ばれているわけだけれども、
それぞれの心のうちにある純粋100%をほんと100%絵に落とし込んでいるわけではない。
その心にある100%は空気に触れることができないんだから(絶対。だって心はものじゃないだろう?)
その100%と、空気に触れる部分の差を限りなく0に縮める事がこの人たちはできた人たちなんだ。
間違ってもパーソナリティー全てを世界に投射したわけではない。
そんなものは誰にも理解されるはずは無いんだからな(自分に言い聞かす)。
というかできるはずがない、理論上も。
俺そういうのやろうと躍起になりまくっていたんだけれども笑。
解釈がずれていたのかもなーなんて。
間違ってはいないと思うんだけど、正しくもなかったのかなーなんて。
自分を突き通すのは楽なんだけど、俺もっと先に行きたいんだよ。
哲学はその厳密で、とても繊細な部分を俺に痛いほど叩き込んでくれた、と思っている。
そして俺も少ないながらも自分にとって濃密な出来事を経験した。
すごい絵は、なんで凄いのかがよくわかったんだ。
それがなんなのか言わないよ。
凄い苦労したんだから笑。
歴史的な芸術家を例に出すのはとても気の引ける事だけれども、まがりなりにもおれも表現というものに向き合って飯を食わせてもらっている身であるからには、彼らとある意味勝負をしなければいけないとも思って日々音楽を作っている(こわーい)。
すげえプレッシャー。
殺されちまうよほんと笑。
すごいんだもん。
表現はどこまでいっても表現。
世界との接点だ。
ありがとうってちゃんと(本当にちゃんとだよ)言えるようになりたい。
表現する。
ここまで理屈でわかってしまうと後は実行力の問題になってくる笑。
怠けていればいるほど俺は、情けない人間になっていく。
もう十分情けないんだけどね。
力の足りなさをそれでも少しずつ埋めていけるように、頑張るしか無いわい。
伝えられる歌うたいてぇー!!
伝えられる曲作りてぇー!!
こないだタクロウとこんな話してたから文章にしてみました。
つーかこんな話だったっけっか笑。
YES.utautai/hozzy
海水魚飼育用のための小型水槽を今日ホームセンターで購入した。
つってもその水槽の商品名は「金魚のお部屋」、、、笑。
2000円弱で色々セットがついていてお手頃な水槽(ネットで買ったらもっと安い)
それを来るべき未来の本格海水魚飼育の実験水槽として、これから色々研究していこうと思っております。
好気性バクテリアと嫌気性バクテリアの違いとか、、、、、。
軽石の多孔質性利用の可能性だとか、、、、、。
コケの繁殖とアンモニア濃度の関係だとか、、、、。
、、、、なーんて、
かっこつけて無理に小難しそうに言ってみたけれど、
要は面倒無く魚を飼育するにはどうしたらいいのかが体感したいだけ笑。
うまくいくと凄い綺麗な水槽になるらしいんだよ。
生命のサイクルをこの目で確かめたいねー。
で、とんでもないのは昨今においては「海水のもと」なんてのがホームセンターでも売ってんのですよ。
水に溶かせばハイ海水の出来上がり。
すごいでしょコレ。
海なんて四方見渡してもケツの影もちらつかないような丘の上で、海の生き物がゆらゆらできてしまうなんて本当狂ってますね。
正しくないね。
けど俺人間だシー。
己の欲望のために自然じゃないことどんどんやっちゃいまーす。
ああ、楽しみだ。
とりあえず水が落ち着いたらベタだけどニモを飼おう。
そして今日、多分良い歌詞が書けたかも。
海水魚のビジョンが夢をくれた笑。
だけど歌ったらどうなんだろう。
試したら駄目だったりして、、、、
早く明日にならんかな。
YES.seasalt/hozzy